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『上総守が行く!』

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2010年 10月 03日

『本郷・田端文学散歩+アルファ都内ポタ』 LP-3

文京ふるさと歴史館から少し先に進むと「炭団坂」(自転車用スロープの施された階段)に行き着く。

炭団坂上の袂に「坪内逍遥旧居跡」がある。
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炭団坂を下る。
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炭団坂を下ると車1台程度が通れるくらいの細い通りに出た。
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昔の姿を残している、なかなか、雰囲気のある町だ。

菊水湯。
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裏の細い通りから見ると三階建て、階段上の表通り「菊坂」から見ると二階建ての民家。
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窓の辺りの設えに目を惹かれる。
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理髪店の屋根で寝っころがる猫。
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指南書の地図によれば、この細い通りの横手の路地に「樋口一葉旧居跡」がある。
何人かの人にその場所を尋ねたが、おおよその場所は分かるものの、路地が幾つもあり、行き当たらず。
丁度、そこへ豆絞りの手拭鉢巻に印半纏、雪駄の鯔背(いなせ)な、40代くらいのオニイさんが通り掛かった。
先程、春日通りで見た櫻木神社の祭りに参加するオニイさんであった。
「ちょっとお尋ねしますが、樋口一葉旧居跡は何処でしょうか」。
「そこの路地を入ったところにあります。お連れしましょう」と有難くも案内して下さった。

「ほれ、この通り、今も水が出ます。以前は、この辺りにはこういう井戸がいっぱいあったのですが」と、ポンプを押して見せてくれた。
「ちょいと、オニイさん、そのままで」とシャッターを押す。
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「私は今、根津に住んでいるのですが、子供の頃はこの辺りに住んでいました。当時の家並みは少なくなりましたが、今でも長屋が残っています」と井戸の近くの階段の方を指差し、「その左手の家は、山本薩夫監督の『人間の条件』の撮影に使われました」と。
『本郷・田端文学散歩+アルファ都内ポタ』 LP-3_a0104495_55466.jpg
更に、「この階段の奥は行き止まりのように見えますが、階段を上ると細い路地があります。そこを通って行かれるとよいでしょう」と教えてくれた。
更に続けて、「ここら辺りでは、向こうの大通りの菊坂に旧伊勢屋質店という建物があります。それもこの辺りの見所です」と教えてくれた。
礼を伝え、別れた。

地元の人だからこその、良き話を聞かせて貰えた。
いい人に出遭った。

ところで、鯔背なオニイさんは「山本薩夫監督の『人間の条件』」と言ったが、つらつら考えるに、山本薩夫監督作品は「戦争と人間」。
「人間の条件」は小林正樹監督作品だ。
しかし、然様なことは些末な話。こうした映画の話題も出て、短くも楽しい会話が出来た。有難いことだ。

鯔背なオニイさんの教えてくれた「旧伊勢屋質店」は我々のコースとは反対方向なので、後日、訪れることとした。

井戸の向こうの階段をjitenshaを抱えて上った。
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階段を上ると、ドンつきは石垣。
この石垣は、先程、炭団坂を下りる際の高台の続きのようだ。
石垣に沿い、自転車1台が漸く通れそうな、細い、細い路地があった。
その路地を進むと、何と、長屋の木戸があった(このブログを綴りながら、先程、上った階段の写真をみると、そこにも木戸があったが、撮るとき、上るときには、階段の木戸には気付かなかった)。
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木戸を通り抜け、表に出た。
表の通りから木戸を眺める。
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再び、木戸をくぐり、中へ入り、もう一枚。
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木戸の隣に、金田一京助・春彦旧居跡」の表示が掲げられていた。
石垣の上の高台に金田一邸があったのであろう。
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余談ながら、鯔背(いなせ)なオニイさんの件(くだり)を綴る際に「いなせ」はパソコンで漢字変換が出来なかった。
どんな漢字を書くのだろうと広辞苑を紐解いてみた。

「鯔背/一説に、江戸日本橋魚河岸の若者が『鯔背銀杏(いなせいちょう)』に結っていたところから、粋で、勇み肌の若者。また、その容姿や気風」とある。

「鯔背銀杏」を参照したところ、「江戸日本橋の魚河岸の若者が結った髷で、鯔の背に似た形のもの」とある。

「鯔」をパソコンで検索したところ、「ボラ(鰡、鯔)」とあり、ボラのことをイナセというとは知らなかった。

更に、パソコン検索で、「イナは若い衆の髷の青々とした剃り跡をイナの青灰色でざらついた背中に見たてたことから、いなせの語源とも言われる。また、若い衆が粋さを見せるために跳ね上げた髷の形をイナの背びれの形にたとえたとの説もある」と。

成程!
樋口一葉旧居跡で出遭った、鯔背なオニイさんのお陰で、随分、ベンキョーが出来た。

因みに、「江戸日本橋の魚河岸の若者...」は、日本橋の袂に、この魚河岸のことを記した碑があったと記憶する。

フォト:2010年9月26日

(つづく)

by kazusanokami | 2010-10-03 18:10 | 都内ポタリング


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