船の形をした高輪消防署二本榎出張所を眺めながら、「この近くの寺に、江戸時代の画家の墓がありましたね。ええっと、画家の名は...。島流しにあった人です。ええっと、寺の名は...」と上総。
「英一蝶ですね。承教寺ですね」と修禅寺殿。
承教寺に向かう。
承教寺/英一蝶(はなぶさいっちょう)の墓。
昨年5月、伊豆大島をポタの前後に、何か調べ事をしていて、島に流された人の話が幾つか目に入り、その中に英一蝶の名もあり、この寺、この墓を訪れたことがあった。
今一度、説明書きを読むと、「将軍綱吉を風刺したとして、三宅島に配流となった」とある。
流罪の中で描いた絵は「島一蝶」と呼ばれることもある。
墓石に刻まれた「北窓翁(ほくそうおう)」は、晩年に改めた雅号である。
忠臣蔵、赤穂浪士を趣味とする筆者にとり、将軍綱吉と関わりのあるこの画家に惹かれるものがある。
承教寺の門前で「旧東海道」、「高縄手」、「二本榎」などのおさらいをする。
前回、訪れたときもそうだったが、門前の左右に置かれた、二体の石像につき、またまた、疑問が湧く。
これは狛犬かな? 否、寺だから、狛犬ではなかろう。顔つきからして、虎かな? ならば、何故、寺の門前に虎なのかな...。
帰宅後、グーグルで「承教寺 石像」と打ち込み、検索したところ、答えがあった。
承教寺から二本榎通りを横切り、向かいの路地に入る。
「ここが仲谷昇の実家です」と修禅寺殿。
「高橋英樹邸といい、仲谷昇の実家といい、何でもよく御存知で」と大給守殿。
「芸能人ゆかりの地ポタですね。こういうのって、好きですね」と上総。
更に、修禅寺殿の案内で、皇室ゆかりの地へ。
「正親町天皇皇孫 興意親王墓」。
「この、ちょっとした区画だけが宮内庁管轄です」と修禅寺殿。
斯様なところに皇室ゆかりの地があるのかと、ロイヤル・ファミリー・ファンの筆者は思うのであった。
次は、「上総の十八番」、赤穂浪士ゆかりの地である。
フォト:2011年1月23日
(つづく)