人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『上総守が行く!』

kazusanokm.exblog.jp
ブログトップ
2011年 02月 11日

『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』

1月29日、ハリポタ藩の走り初めで、龍野をポタリング。
翌30日は、ハリポタ藩の面々と共に、京都をポタリング。
両日のポタリングで多くの名所旧跡を巡ったが、上総の趣味のひとつである「龍」との出遭いの旅でもあった。

<出遭った龍、其の一>
龍野の「龍」。
地名の龍野の由来は、「立野」が「龍野」に変じたとのことで、「龍」ではないが、、龍を趣味とする上総として「龍」の付く町を訪れることが出来、誠に嬉しきことであった。
市の名が「龍野」から平仮名の「たつの」になったことは、ちょっと、寂しいことながら...。

参考までに龍野の由来をここに転記する。

龍野の由来/播磨国風土記によれば、相撲の元祖といわれる野見宿禰が 出雲へ帰る途中にこの地で亡くなり、人々が揖保川の石で墓を建てるために野に立ち並んだという故事から「立野」と呼ばれるようになり、それがいつしか「龍野」になった。

<出遭った龍、其の二>
龍野城本丸御殿/襖絵「龍煌々志」/出口龍憲作。
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6283213.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6284616.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6285863.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_781271.jpg
案内の人から懇切丁寧な説明を頂戴した。
上総の永遠のテーマである「日本の龍の指は三本」につき、こちら側から触れることなく、話し出されたことに、何故か、ほっとした気分になった。

ここで、何故、「日本の龍の指は三本」が永遠のテーマであるかについて、触れておこう。

或る時、契約調印の場で、お客さんにガラス製の龍の置物を贈呈した。
同席していた仲介商社の某重役がこの龍を見て、「三本指じゃないか」と何やら侮蔑したようなニュアンスの発言があった。
それ以来、意地となって、ことあるごとに、日本の龍の指の本数を数えるのが常となった。
更に、中国、台湾、韓国、琉球などの龍も、現地へ赴く機会のある都度、調べてみた。
その結果、五本指は中国の皇帝のみ、台湾・韓国は市井の人々も含めて四本、琉球も四本、日本は三本ということが明らかとなった。
台湾の親しい知人に「日本の龍は三本指。これはおかしい。龍は使わせてやるが、三本指ということで、属国扱いや」と申したところ、「まあ、そう言わずに。パワフルな龍であっても、遠く、日本まで飛んでいく間に疲れが出て、四本指の一本が落ちてしまい、三本指になったと思えば如何でしょうか」と。
大人の発言、なかなか上手いことを言うなあと感心すること、しきりであった。

龍野城本丸御殿の案内の人から「五本の指の龍が使えるのは中国の皇帝だけながら、元の時代以前の皇帝が使った龍は四本指であった」との説明があった。
「元の時代以前は...」については初耳であり、「龍」好きにとって、これは誠に有難いご高説であった。

加えて、「龍の図は寺院に多く、城や武家屋敷で使われることは稀」との話もあり、思えば、成程、その通りであり、これも誠に有難いご高説であった。

<出遭った龍、其の三>
龍野/旧脇坂屋敷/袋戸棚引戸の「龍」。
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_634126.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6345179.jpg
京の止事無きところから頂戴した織物が袋戸棚の引戸に張られている(との説明であったと記憶する)。
「日本の龍の指は三本」との思い込みがあり、その場では仔細に見なかった。
しかし、ブログにアップロードしながら、フォトを仔細に見てみると、指の部分に四つの点がある。
見ようによっては、五つの点にも見える。
四本指、或いは、五本指のようにも思える。
であれば、新発見である。

<出遭った龍、其の四>
龍野醤油資料館別館二階ギャラリー/「龍」/山下摩起作。
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6451560.jpg
斯様な画家の存在すら知らなかったが、その技法、その作品の素晴らしさに驚いた。
龍の図もさることながら、観音図はより一層素晴らしく、誠に興味深い画家であった。
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6481567.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6482898.jpg


<出遭った龍、其の五>
京都花園/妙心寺法堂/天井画「雲龍図」/狩野探幽作。

案内の人から数多くの説明があったが、その中で「口は鰐、髭は鯰、目は牛、角は鹿、胴は蛇、鱗は鯉、足は鷹を手本に描かれた」と「目は八方睨み」、そして、「壁に立て掛けて描き、吊り上げたことにより、法堂は吊り天井となっている」との説明が、殊の外、興味深きことであった。

狩野探幽作「雲龍図」をゆるりと鑑賞した後、外を歩きながらの、呑々守殿との会話。
「おい、あの時代に鰐、おったか?」。
「織田信長の時代に南蛮渡来のものが数多く入って来ているので、その頃の資料を探幽さんは見たのかもしれないね」。
「その昔、鰐は鮫のことやった」。
「因幡の白兎やね」。

妙心寺を訪れる前に「天井画の龍は撮影禁止であろうから、せめて、絵葉書など」と思っていたが、予想通り、やはり、撮影禁止。
観覧券売り場で、絵葉書につき、問うたところ、「南総門近くの花園会館に置いてあります」とのこと。
ハリポタ藩の面々に花園会館までお付き合い願い、不繊布にプリントした「雲龍図」を手に入れることが叶った。

前置きが長くなった。
狩野探幽作「雲龍図」、登場。
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6551565.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6553141.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6554420.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6555744.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6561330.jpg
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_6562412.jpg
これらのフォトは、妙心寺法堂内では撮影禁止であったので、観覧券売り場で貰ったパンフレットを法堂前の床机に置き、撮ったものだ。
方向を変えての四葉は「八方睨み」のつもりである(四方であるが...)。

<出遭った龍、其の六>
京都嵐山/天龍寺。
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_73271.jpg
天龍寺の前に立ち、ふと、思ったこと。それは、いつぞや、或る画家の描いた雲龍図が天龍寺に納められる前に東京の某所で御披露目されるとの新聞記事を目にし、「龍」好きの上総はそれを見てみたかったということであった。

さて、それは何時頃のことだったろうか?何という画家であったろうか?と思いつつ、ポタリングの帰路、JR嵯峨嵐山駅に向った。
電車に乗る前に、駅前の案内板の「天龍寺」に関する説明を読んでみた。
『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』_a0104495_732743.jpg
「平成9年、夢窓国師650年遠諱を記念して法堂天井に加山又造画伯により八方睨みの龍として『雲龍図』が描かれている」とあった。

今回の京都ポタでは、天龍寺法堂に立ち寄る時間はなかったが、次の機会に、是非、この「雲龍図」を眺めてみたいものだ。
更に、京の寺々の龍の天井画を調べ上げ、「京の寺/龍の天井画めぐり」なるものもやってみたいものだ。

フォト:2011年1月29日、30日

by kazusanokami | 2011-02-11 07:07 |


<< 『真冬の夜のジャズ』      『観梅』 >>