嵯峨野から嵐山へ。
二尊院。
「秋ともなれば、ここも紅葉の名所と相成りまする」と軍師殿。
総門をくぐり、「紅葉の馬場」と呼ばれる参道を眺める。
ウンチング・スタイルならぬ、片膝付き、ホスト・クラブ・スタイルのF殿様をも眺める。
竹林の中を走り抜ける。
小倉餡発祥の地。
甘党の軍師殿、生唾ゴクリ!
落柿舎。
この日のポタには参加が叶わなかった、ハリポタ藩俳諧の師、人麻呂殿の蘊蓄を聞きたかった。
少し走って、落柿舎をもう一枚。
「近くで眺めるより、田畑を挟んで、ここら辺りからの眺めの方が宜しゅう御座るのう」、「然様、然様」と本町普請奉行殿と上総。
土佐四天王像。
何故、ここ、嵯峨野の地に、彼らの銅像が建立されているのか。
その訳は、この通り。
昨年、彼らはNHK総合テレビでも大活躍...。
「今、何処に?」と軍師殿からケータイ電話。
「今、天龍寺の前。本町殿も一緒。小倉餡、落柿舎、土佐四天王でフォト三昧している間に、はぐれ狼に」。
「今、竹林の道。天龍寺前で、暫し、お待ちを」。
ハリポタ藩竹林組、天竜寺前に現る。
先頭、右から、軍師六々守殿、(歩行者さん)、御典医殿、呑々守殿、按針殿、(赤ジャケのロード・レーサー氏に隠れ気味の)播磨守殿、摂津守殿。
ついでに(???)、カメラ側は本町普請奉行殿と上総。
余談ながら、本町普請奉行殿は、最近、「普請」が「不振」となったり、今回の龍野ポタと京都ポタのあとは「浮心」となったりで、自由に改名。
因みに、「不振」は「調子が悪い」の意ではなく、「ぶれない」と読むのである。
何処かの国の総理大臣に差し上げたい名である。
上総の編み出した「命名遊び」は新たな展開に、そして、まだまだ、これで遊べそうなのである(自画自賛)。
天龍寺。
ここには、1997年(平成9年)、夢窓国師650年遠諱(おんぎ)を記念して法堂天井に加山又造画伯により八方睨みの龍として『雲龍図』が描かれている。
前日の「龍野ポタ」、この日の「京都ポタ」は、龍野城本丸御殿/襖絵「龍煌々志」/出口龍憲作、龍野/旧脇坂屋敷/袋戸棚引戸の「龍」、龍野醤油資料館別館二階ギャラリー/「龍」/山下摩起作、京都花園/妙心寺法堂/天井画「雲龍図」/狩野探幽作など、龍を訪ねるポタでもあった。
今回は、天龍寺法堂に立ち寄る時間はなかったが、次の機会に、是非、この「雲龍図」を眺めてみたいものだ(非公開かな?)。
更に、京の寺々の龍の天井画を調べ上げ、「京の寺/龍の天井画めぐり」なるものもやってみたいものだ。
渡月橋を眺めながら、京都ポタを終えた。
渡月橋近くで、KCTPレンタルのルイガノ・ミニベロを返却し、JR山陰腺嵯峨嵐山駅から帰途についた。
前日の龍野ポタ、この日の京都ポタ、何れも、満足度100%の旅であった。
フォト:2011年1月30日
(完)