京成成田駅から線路沿いに印旛沼方面へ向かう。
途中で行き止まり。
少し折り返し、野道を行く。
指なし手袋では、少し、手が悴むような冷たさながら、清々しい朝の走り。
「わぁーっ、久し振りや。きれいやなあ」(感動すると、関西弁になるんです)。
黒い、小さな点は、トビのようだ。
四本の竹杭は、カワセミ・スポットでもある。
これは、二年前のハリポタ藩関東遠征時、御典医殿と六々守殿と共に走った際に、"鳥見師"六々守殿が発見したスポットである。
飯野龍神橋を渡る。
橋の中央で、恒例の、「今日の jitensha」をカメラに収める。
右から、貝波守殿/mc-nrt号、大給守殿/bd-1 urys号、武衛殿/bd-1 sngw号、上総/bd-1 abk号。
御領主印旛守殿は、企画当初より所用あり、不出馬。
伊豆守殿/bd-1 myhm号は、企画途中にて所用が生じ、不出馬。
荷駄の担ぎ手が不足気味の中、貝波守殿/mc-nrt号が大活躍することに...。
「武衛殿、欄干の外側を覗いてみて下され」。
龍のコレクションを趣味のひとつとする上総、「ドラポタ藩/秋の"野点"ポタ」初参加の、武衛殿に、今にも、沼に向かって、飛び出そうとする、龍神を紹介する。
「次は、風車に立ち寄ってみませう」。
「今日のjitensha」、第二弾。
貝波守殿と武衛殿は、この風車を初めて訪れたとのこと。
「どうぞ、中を見学して来てください。二階部分にも上がれます。我らは外で写真を撮り撒くって居りまする故、ごゆるりと」。
貝波守殿と武衛殿は、風車の中へ。
暫らくして、大給守殿と上総、「準備中」の札の吊るされた鎖を跨ぎ、中に入るも、まだ、朝の9時前。
「申し訳ありませんが、ちょっと、まだ、準備中で、見学いただけません、と、お二人に話をしていたところです」と、風車守りの、あの好青年はオープンに向けて、忙しげに、準備作業中であった。
「大給守、上総ヲ激写スル之図」。
上総は、水面に映る跳ね橋をカメラに収めるべく、ちょいと、失礼して、柵の中へ入ったのであった。
大給殿に後ろ姿を激写されているとも知らずに、撮った写真がこれだ。
この写真より、大給守殿の撮った「跳ね橋と上総後ろ姿の図」の方が見栄えがするように思える。
カメラマンの腕がよいのか、モデルがよいのかは分からないが...。
背中に背負ったカスク(=ヘルメット)が、オランダ色、であることを申し添えておこう。
「あのー、子供さんが真似しますので、柵の中には入らないでください」と、向こう側から、風車守りの青年の声。
上総は、ふたつの不覚をとったのであった。
ひとつは、背後からの激写に油断したこと、もうひとつは、風車守りの青年に叱られたこと。
大いに、反省!
特に、後者については...。
風車とその周辺に「コンチネンタル・タンゴの聴こえる空」と「1888年のラングロウ橋」の心象風景を感じながら、次の地へ向かうのであった。
フォト:2011年11月23日
フォト#7/大給守殿提供
(つづく)