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『上総守が行く!』

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2012年 06月 27日

『六月の鎌倉ポタリング/名月院(3)』 jk-3

名月院。
紫陽花三昧につづいて、竹林にて遊ぶ。
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見上げる。
山門で見た一輪挿しもそうだったが、竹と紫陽花は相性がよいようだ。
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竹、苔、そして、装飾瓦...。
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笛を吹く飛天。
竹林で竹笛の音、よき趣きだ。
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「福源山」。
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「福源山」は明月院の山号。
明月院は臨済宗建長寺派の寺院、本尊は聖観音、開基は上杉憲方(山ノ内上杉家の祖、関東管領)、開山は密室守厳である。

上杉憲方の名が出た。
「明月院やぐら(羅漢洞)」で、歴史のベンキョーをする。
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『六月の鎌倉ポタリング/名月院(3)』 jk-3_a0104495_535783.jpg
読み下してみる。
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名月院やぐら(羅漢洞)。
「やぐら」は中世鎌倉時代特有の洞窟墳墓である。
間口7メートル、奥行6メートル、高さ3メートルで、鎌倉市現存の最大級である。
壁面中央には釈迦如来、多宝如来の二仏と両側に十六羅漢を浮き彫りにし、中央に名月院中興開基、上杉憲方公をまつる宝篋印塔 、その前には禅宗様式を表した香炉が安置されている。
このやぐらは、もともと、永歴元年(1160年)平治の乱、京都で戦死したこの地の豪族、山ノ内俊道の菩提供養の為に子供である山ノ内経俊によって造られたと伝えられ、その約220年後に上杉憲方が生前に自ら墓塔を建立したと伝えられるが、凝灰岩質であるために風化が著しく、それらの彫成年代は明確ではなく、今後の解明が待たれる。
上杉憲方公は上杉重房公の四代目の曾孫で山ノ内上杉家の祖。
憲方公の子孫の憲政の時、北条氏康との戦いに敗れ、越後の長尾景虎を頼り、上杉の家名をゆずった。
長尾景虎は後の戦国時代の武勇、上杉謙信である。
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なるほど、この説明書きでいろんなことが分かる。
こういう洞窟を「やぐら」というのである。
確かに、鎌倉で「やぐら」をよく見掛ける。
「宝篋印塔」、「ほうきょういんとう」、読みが難しい。
宝篋印塔は、五輪塔などと共に、墓塔や供養塔などに使われる仏塔のひとつである。
平治の乱のことも登場。
NHKの大河ドラマ「平清盛」は著しく視聴率が低いとのことで、保元の乱に続き、平治の乱で視聴率アップを狙っているようだ。
しかし、源義家をあのように描くのは如何なものか、平清盛との対比であのように描かざるを得ないのであろうが、あれは脚本家の力不足、あれでは視聴率は上がらないと思うのである。
ドラマ評論家ではない。変なところで、力が入ってしまった。
長尾景虎が上杉の家名を譲り受ける件は、長い歴史、経緯を経てのことであり、紙面の都合上、それをここで述べるのは控えたい。

やぐらの脇でも、ガクアジサイが咲いていた。
『六月の鎌倉ポタリング/名月院(3)』 jk-3_a0104495_6143142.jpg


フォト:2012年6月23日

(つづく)

by kazusanokami | 2012-06-27 06:41 | 湘南鎌倉ポタリング


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