満福寺。
境内から、本堂内の襖絵が垣間見える。
襖絵に誘われて、拝観料200円也を収め、本堂内に入る。
「平泉への道」。
鎌倉を追われ弁慶と共に雪の中を平泉(岩手県)の藤原氏のもとに向かう義経。(襖絵の添え書きより)
「弁慶の立往生」。
衣川の戦いで数百本の矢を受け立往生したとも言われているが生き延び後に義経記を書き残したとも伝へられている。(同上)
「旅立ちの静」。
義経を追い旅立つ静 八幡宮の舞殿で舞ってから八百年が過ぎた今も義経にめぐり逢うまで旅を続ける静 二人の間にはもはや源氏も平家もない人間として求め合う姿がそこにあるように思える。(同上)
「残照の中の義経」。
衣川の戦いに敗れ傷ついた義経 衣川にて自害したとも伝へられているがえぞ地に渡ったとも伝えられている。(同上)
「静の舞」。
しずやしず 義経を慕い舞い踊る静 そのこころのこもった舞いの美しさは八百年過ぎた今も語り承われている。(同上)
「腰越状」。
平家を滅ぼし鎌倉に入ろうとした義経は腰越にて止め置かれ満福寺にて自分の気持ちを頼朝に書き届けたが聞き入れられずこれより追われる身となり悲劇の旅が始まってゆく。(同上)
『襖絵/義経ものがたり』で最も大事な場面!アップで。
腰越状は元暦2年5月24日(1185年6月23日)に綴られたとされている。
この襖絵は雪景色のようだが、野暮なことを申すのはここでは控えたい。
いずれの襖絵も鎌倉彫の技法で彫ら、彩色されている。
その鎌倉彫の技法は「残照の中の義経」の襖絵に最も顕著に現れている。
いずれの襖絵にも次のような形の添え書きがが掲げられている。
それらを、上述の通り、写真と共に記してみたが、「静の旅立」や「静の舞」の添え書きは、転記しながら、ちょいと、気恥ずかしい気がした。
「残照の中の義経」の添え書きに「衣川にて自害したとも伝へられているが、えぞ地に渡ったとも伝えられている」とある。
義経・ジンギスカン説をテーマにした、高木彬光の推理小説『成吉思汗の秘密』を思い出す。
襖絵に加え、この天井画も外せない。
趣味の"龍"に新たなコレクションが加わった。
フォト:2012年6月23日
(つづく)