人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『上総守が行く!』

kazusanokm.exblog.jp
ブログトップ
2012年 07月 15日

『旧日光街道千住界隈』 sj-3

千住大橋公園から橋詰テラスに降りてみた。
先ほど、橋を渡りながら見た、護岸の絵図を橋詰テラスで間近にみた。
『旧日光街道千住界隈』 sj-3_a0104495_21431425.jpg
与謝蕪村筆「奥の細道図屏風」とある。
護岸の曲がり部を使っているのは屏風を表現しているのかもしれない。
『旧日光街道千住界隈』 sj-3_a0104495_2144546.jpg
「千住の大橋と荒川の言い伝え」。
『旧日光街道千住界隈』 sj-3_a0104495_21461616.jpg
先ず最初に、この案内板に書かれている最後の言葉を記しておこう。
-------------------------------------------------
このテラスの看板群は多くの企業の協賛金と東京都・足立区の後援により作られれました。
ご協力感謝致します。
千住大賑会・河原
-------------------------------------------------
先ほど、千住大橋南詰で見た立て札で登場した「千住大賑会の河原さん」がここにも登場している。

「大橋と大亀」の言い伝え。
---------------------------------------------------
千住大橋は隅田川に架けられた最初の橋です。この川は以前荒川とも渡裸川(とらがわ)とも読んでいました。
昔は文字の示すように荒れる川であり、トラ(虎)が暴れるような川と言われていました。
こうした川に橋をかけることは難工事ですが、当時土木工事の名人と言われた伊那備前守忠次によって架けられました。
千住大橋の架橋については“武江年表”文禄三年の条に「...中流急流にして橋柱支ふることあたわず。橋柱倒れて舟を圧す。船中の人水に漂う。伊奈氏 熊野権現に祈りて成就す」と書いてあります。
川の流れが複雑でしかも地盤に固いところがあって、橋杭を打ち込むのに苦労したようです。
そうしたことから完成時には、一部の橋脚と橋脚の間が広くなってしまいました。
ここで大亀の話が登場するのです。
ずっと以前から川の主と言われる大亀が住んでいて、その棲家が橋の川底にあったので、打ち込まれた橋杭が大亀の甲羅にぶつかってしまいました。
いくら打ち込もうとしても橋杭は入っていきません。
そうしているうちに杭は川の流れに押し流されてしまいました。
その場所を避けて岸辺に寄ったところに杭を打ち込んだところ、苦もなく打ち込めました。
しかし、見た目に橋脚は不揃いになってしまいました。
川を往来する舟が橋の近くで転覆するとか、橋脚にぶつかると大川の主がひっくり返したとか、橋脚にぶつけさせたと言われています。
船頭仲間でも大橋付近は難所として、かなり年季の入った船頭でさえ、最大の注意を払い,、ここを通り越すと"ほっと"したそうです。
---------------------------------------

「大橋と大緋鯉」の言い伝え。
---------------------------------------
千住大橋から十数丁遡った対岸の“榛木山”(ハンノキヤマ)から、下流の鐘ヶ渕に至る一帯を棲家としていた一匹の大きな緋鯉がいました。
その緋鯉は、 大きさが小さな鯨ほどもあり、 緋の色の鮮やかさは目も覚めるばかりでした。
ですから、 かなり深いところを泳いでいてもその雄姿が認められ、舟でこの川を往き来する人々の目を楽しませていました。
この緋鯉のことを川沿いの住民達は大川の主と呼び親しんでいました。
ところが、いつしかこの大川に橋をかけることになり、いざ橋杭を立てはじめますと、困ったことがおこりました。
それは、立てた橋杭と橋杭の間が狭いために、この大緋鯉が通れなくなったからです。
榛木山の方から下ってきた大緋鯉が鐘ヶ渕へ向けて泳いでくると、きまって橋杭にその魚体がぶつかってしまうのです。
そのたびに、立てたばかりの橋杭がグラグラ動いて倒れそうになります。
せっかく打ち立てた橋杭を倒されては、今までの苦労が水の泡になってしまいます。
そこで、橋の普請主は付近の船頭達に頼み、大きな網の中に追い込んで捕獲しようとしました。
網に追い込まれた緋鯉は、捕らえられてなるものかと、ものすごい力をだして暴れ回りました。
船頭は、自分達の日ごろの腕の見せどころとばかりがんばりましたが、思うようにはいきませんでした。
それならばと、網の中の緋鯉を櫓で力いっぱい叩いたり突いたりしましたが、それでも捕らえることができませんでした。
とうとう鳶口まで持ってきて、大緋鯉の目に打ち込んでしまいました。
しかし、大緋鯉は目をつぶされただけで、網を破って逃げ去ってしまいました。
それからしばらくの間、緋鯉は姿を見せませんでしたが、たまたまその姿を目にした人の話では、片目がなくなっていたそ うです。
片目を失った緋鯉は、目の傷が治ると以前にも増して暴れ回り、橋杭にもよくぶつかりました。
ぶつかるたびに橋杭は、地震のときのように大きく揺れ動き、今にも倒れそうになりました。こうしたことが、いつまでも続いては困りますので、せっかく立てた橋杭の一本を岸辺に寄せて立て替え、大緋鯉が自由に泳ぎ回れるようにしてやりました。
それからというものは、大緋鯉が橋杭にぶつかることもなく、舟の事故や水死人の数が少なくなって、めでたしめでたしの結果に終わったということです。
もちろん、その後も緋鯉の大きく美しい姿が、この川を往き来する人々の目を楽しませたことは言うまでもありません。
----------------------------------------
このように、千住大橋は大亀と大緋鯉のふたつの伝説を持っているのであった。

橋詰テラスには、まだまだ、幾つもの説明書きや絵図がある。
・「千住の橋戸河岸」
・「初代広重の画、葛飾北斎の著名な作品」
・「大日本大河覧」
・「大日本大橋盡(づくし)」
・「千住大橋際御上り場」
野外資料館の如くである。
時間はたっぷりある。
ひとつずつ、見ていくことにした。

フォト:2012年6月26日

(つづく)

by kazusanokami | 2012-07-15 23:55 | 都内ポタリング


<< 『夏の富士』      『旧日光街道千住界隈』 sj-2 >>