千住大橋/橋詰テラス。
「千住大橋際 御上り場」。
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「御上り場」。
将軍家日光門主(別掲参照)など高貴な人々が利用していた湊が千住大橋際御上り場である。
将軍家が千住近郊の鷹場(小塚原、花又村、たけの塚、そうか村など)や小菅御殿への通行などに通常利用された。
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「日光門主」。
日光門主は別名輪王寺宮上野の森宮様と呼ばれ、日光山のみならず、東叡山寛永寺、比叡山延暦寺の門主を兼ね、天台座主の地位を併せ持つ宗教的権威の頂点にいた人物である。
日光道中でもっとも重視されていたのは日光と江戸を三回往復する日光門主の通行である。
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天保13年(1842年)仙台藩13代藩主 伊達慶邦の大名行列。
嘉永元年(1848年)千住大橋之図。
千住大橋際の御上り場に将軍の御成船が着く様子をアップで。
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この図は小金原で行われた鹿狩に向かう将軍が千住に到着する様子を描いた図です。
描かれている川(図右側)は隅田川、橋は千住大橋です。
図の左側が千住橋戸町で、将軍の船には葵紋が付いた吹流しがたなびいています。
当時の将軍は12代将軍の徳川家慶でした。
「小金野鹿狩之記」(独立行政法人国立公文書館所蔵)
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昨年、何度か通った「国立公文書館」の所蔵資料である、と。
閲覧室でゆっくりと見てみたいものだ。
千住大橋公園と橋詰テラスで数多くの資料や絵図を眺めながら、ベンキョーした。
あれやこれやの歴史を堪能し、次は足立市場方面へ向かう。
フォト:2012年6月26日
(つづく)