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『上総守が行く!』

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2012年 08月 15日

『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9

利根町歴史民俗資料館。
さあ、愈々、《不思議の玉》の実物のコーナーだ、と思った途端、壁に掲げられた、大きなパネルに目を奪われた。
「徳満寺の間引き絵馬」であった。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_815158.jpg
柳田國男記念公苑資料館(旧小川家土蔵)で見た写真や徳満寺の境内で見た複製(日光で変色していた)とは異なり、随分としっかりとした複製である。
柳田國男記念公苑資料館での説明書き、即ち、「産褥の女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なもので、障子に映った影絵には角が生えており、そばには地蔵様(現在は足の部分だけが残る)が立って泣いています」の記述を思い出しながら、仔細に見てみた。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_81628.jpg
「産褥の女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけている」は、これまで見て来た写真や複製でも見て取れた。
だが、「障子に映った影絵には角が生えており」は、このパネルでしっかりと見て取れる。
「そばには地蔵様(現在は足の部分だけが残る)が立って泣いています」、これはよく分からない。

柳田國男記念公苑資料館の説明書きは第6話で引用しているので、ここでは、利根町教育委員会・編「少年柳田國男」から《間引き絵馬》の一節を引用しておこう。
-------------------徳満寺の間引き絵馬。
徳満寺の地蔵堂に一枚の絵馬がかかっていました。
それは一人の女が、鉢巻をしめ、産んだばかりの赤ん坊を、力いっぱい押さえつけているというものでした。
障子には、その女の影が映り、角が生えています。
「その意味を、私は子供心に理解し、寒いような気持ちになった」と國男はのちにのべています。
天明の飢饉(天明3年<1783年>、浅間山の噴火を原因にして空がくもり、洪水がおき、何年も米たとれず、たくさんの人々が餓死した事件)以来、食べ物がなければ、こうする以外に方法はなかったのです。
こうした「飢饉を絶滅しなけらばならない」という思いもまた、國男少年をして学問の道にかりたてたのでした。
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寄り道が大好きである。
ここ、利根町歴史民俗資料館内でも寄り道が多かった。
愈々、《不思議の玉》の実物の登場である。
「小川家の土蔵と祠」。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8213952.jpg
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8312460.jpg
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小川家の土蔵と祠
布川での少年時代の柳田國男は、身体が弱いということから学校へは入らず、裸で棒切れをもって野山を飛び回る一方、やたらに本を読むという実に両刀使いでした。
今も残る小川家の土蔵(写真参照)には、当時、たくさんの本が納められており、赤松宗旦著『利根川図志』と初めて出会ったのもこの土蔵でした。
國男は後にこのときのことを、播州の三木家に次いで「第2の濫読時代」と位置付けています。
一方、國男は布川での約3年間の生活で、様々な新しい体験をしました。
その一つに、小川家の祠(写真参照)での神秘体験があります。
いたずら盛りの國男が、ある日、小さな石の祠の中にあった美しい珠を覗いて見たところ、興奮して妙な気もちとなり、昼間の空に数十の星を見たといいます。
ヒヨドリの鳴き声で我に返るのですが、後年、「あのヒヨドリが鳴かなかったら、私はあのまま気が変になっていたかもしれない」と、異常心理について振り返っています。
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土蔵と祠。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8351257.jpg
いつ頃、撮られた写真であろうか。
撮影時期の明記はない。

祠と國男少年の神秘体験。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8353730.jpg
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8401832.jpg
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布川で少年國男はこんな体験をしました。
この祠は、小川家がこの地に移り住んだとき、初代の祖母にあたる人を屋敷神としてまつったもので、屋敷の奥の方に建っていました。
祠には石の小さな扉がはまっていました。
その中がどうなっているのだろうか。
いたずらな少年はある春の日、だれもいないのを見計らって、おそるおそる開けてみたのです。
すると、じつに綺麗な玉が入っていました。
それを見たとたん、気持ちが変になって、見上げた青い空に星が幾十も輝いているのが見えたのです。
と、突然、ヒヨドリが「ピーッ」と鳴いて空を通りました。
その声で人心地がつきます。
「もし、あの時にヒヨドリが鳴かなかったら、私はあのまま気が変になっていたかも...」と、後年、この日の体験を思い出し、國男は述べています。
このような体験が、のちのち、神隠しや異常心理、あるいは、民間の不思議な伝説に関心をいだかせ、『遠野物語』へつながっていったといえるでしょう。
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《不思議の玉》/小川家氏神の玉。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8465127.jpg
遂に、《不思議の玉》の実物を見ることが出来た。
超アップで。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8481561.jpg
《不思議の玉》の紋様が見て取れる。
当時は光り輝いていたのだろう。
気が変になるくらいに...。

最後に、國男少年の自筆を。
「酒巻宗三郎におくられた國男少年自筆のノート」。
『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-9_a0104495_8502144.jpg
「度差日記創見」と題し、「未だいとけなる頃、手習いのすさびに我兄井上通泰がもてる本を借りて写したるなり...」と綴られている。
日付は明治25年12月30日となっている。
國男17歳のときのものである。
柳田國男記念公苑資料館で、最晩年の『海の道』の自筆原稿を見た。
達筆であったが、この自筆ノートを見ると少年時代から達筆であったことが窺がえる。

職員さんに礼を述べ、利根町歴史民俗資料館をあとにした。

フォト:2012年8月10日

(つづく)

by kazusanokami | 2012-08-15 11:10 | 柳田國男ゆかりの地を訪ねて


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