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『上総守が行く!』

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2012年 12月 12日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4

越中島から月島を経由して勝鬨橋に至る。
『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4_a0104495_9112613.jpg
勝鬨橋からの眺めもなかなか結構なものだ。
左手の聖路加病院を眺める。
「越中島は番外編。浪士たちの歩いた道へ軌道修正し、聖路加病院の方へ行きませう」。

聖路加病院。
浅野家上屋敷跡の碑を眺める。
そして、芥川龍之介生誕地に関わる案内板を眺める。
芥川龍之介が短編小説「或る日の大石内蔵助」を著しているのも何かの縁か...。

築地本願寺。
浪士の一人、間新六の供養塔を拝す。
間新六は、父、喜兵衛、兄、間十次郎お供に吉良邸に討ち入った。
何故、ここに間新六の供養塔があるのか、それを綴ると長くなるので、ここでは割愛し、「泉岳寺」の項で述べてみたい。

料亭『つきじ田村』の前を通り過ぎる。
「昔、この店で五万円の昼飯を喰ったことがありますよ」。
「それじゃ、我らも五万円には及ばぬも、二千五百円のビーフ・シチューの昼餉と参りませう」。

久方ぶりの「銀之塔」。
『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4_a0104495_9573558.jpg
箸を付けてから、おっと!グルメ写真やった!と気付く。
『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4_a0104495_958779.jpg
昼餉を終える。
「歌舞伎座の前を通って参りやせう。本日は中村勘三郎さんの追悼ポタでもありますんで」。
『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4_a0104495_9583513.jpg
『赤穂浪士討入凱旋の旅』での歌舞伎座前の能書きは「四十七士は、まさか、自ら関わった事件が『仮名手本忠臣蔵』、『元禄忠臣蔵』として歌舞伎になるとは思いもしなかったでしょう...」というものであるが、この日は中村勘三郎さんを偲んで静かに通り過ぎた。

中村勘三郎の舞台は残念ながら観たことはない。
しかし、「野田版 鼠小僧」、「野田版 研辰の討たれ」、「大江戸りびんぐでっど」など幾つかのシネマ歌舞伎で愉しませて貰っている。
来年も松竹系映画館で数々のシネマ歌舞伎の上映が予定されている。
今一度、中村勘三郎の軽妙な喋り口を愉しんでみたい。

歌舞伎座前を抜け、昭和通りを走る。
『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4_a0104495_10294576.jpg
昭和通りは、関東大震災の復興事業として造られた道路である。
その昔、船入堀(船を入れるための人造の港)だったそうで、道ではなかった。
浪士たちは木挽町あたりを通ったのかもしれない。
因みに、木挽町は浅野内匠頭舎弟大学の屋敷があった場所でもある。

昭和通りから第一京浜を走る。
寄り道したきところは多けれど、泉岳寺に向け、ひたすら走る。
泉岳寺に到着!
『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4_a0104495_1118144.jpg


フォト:2012年12月8日

(つづく)

by kazusanokami | 2012-12-12 10:58 | 赤穂浪士討入凱旋の旅


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