靖国神社から上野東照宮に至る。
上野東照宮/表門。
石鳥居の辺りを探る。
「大給殿、お手元の電脳網資料では如何なっておりますか」。
「暫し、お待ちを」。
ポケットから資料を取り出す。
「『上野東照宮 池之端参道下 石鳥居の左下 独立石標上面 移設元不明』となっています」。
「ここは、表の石鳥居。池之端参道下の鳥居は別のところ」。
「ちょいと、茶店で聞いてみましょう」。
左の坂道を下り、右へ少し行くと鳥居あり、と。
池之端参道下/石鳥居。
『独立石標上面』である。
石鳥居の足元に刻まれているのではない。
石鳥居の左下を探す。
ない。
念のため、右下も探す。
ない。
暫らくして、「あっ、ありました!」と武衛殿の声。
皆で駆け寄る。
『独立石標上面』とは、こういう形のものをいうのであった。
独立石標は、鳥居から1メートルばかり離れたところにあった。
落ち葉がどっさり積もって埋もれていたら、発見出来なかったかもしれない。
資料では『移設元不明』となっている。
オリジナルが何処にあったのかが分からないということである。
しかし、大事にされて来たことが、この姿を見ればよく分かる。
標識があれば、より大事にされていることになるのだが、標識があると、《探索》の楽しみは半減されるであろう。
独立石標の見付け方が少々難しいことが分かった。
後に、2月10日に挙行した几号水準点探索の第二弾で、路傍にあるという石標を二ヶ所、見付けることが出来なかった。
しかし、上野東照宮参道下では、そんなことは想像もしなかったのだが...。
今日の jitensha。
この日、高輪大木戸、御穂鹿嶋神社、芝東照宮、愛宕神社、日比谷公園/烏帽子岩、同/亀石)、桜田門(工事中)、大手門、竹橋、天守台、田安門、靖国神社、上野東照宮の13ヶ所を巡った。
何れも走りなれたコースの沿線なるも、几号水準点なるものが刻まれているとは全く知らなかった。
ポタリング好き、歴史好きには、恰好のテーマであった。
この日は、彼岸にいる親爺の誕生日であった。
1912年、明治45年1月26日生まれ、生きていれば、丁度、101歳である。
1912年は、1月1日から7月30日までが明治45年、7月30日(31日ではない)から12月31日までが大正元年。
よって、親爺は正真正銘の明治の人であった。
明治生まれの親爺の誕生日に、明治の初めに刻まれた歴史を訪ねる、これも何かの因縁かと思う次第である。
神田「升亀」での"反省会"も盛り上がり、几号水準点探索ポタの第一弾を終えたのであった。
勿論、神田駅改札まで「押し」で、そして、最寄り駅から屋敷までも「押し」で。
フォト:2013年1月26日
=予告編=
明治の初めに刻まれた几号水準点「不」の刻印を探索するポタリング、第二弾、2月10日に挙行!
ブログ「続・几号水準点探索ポタ」、近々、堂々のアップロード!
(完)