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2013年 10月 21日

『天空ポタ/究極の下りま専科』<長野~小布施市中めぐりの巻(1)> tp-34

9月10日、長野から長野電鉄で小布施へ。

小布施駅。
乗って来た電車を見送る。
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「栗と北斎と花のまち 信州おぶせ」。
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小生の頭の中での小布施のキーワードは、「岩松院」、「福島正則」、「葛飾北斎」、「小林一茶」、「高井鴻山」、「栗」であった。

線路脇には塀のような形で、市内の店々の看板が掲げられている。
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その中にひとつ、目を惹く看板があった。
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「人生夢幻耳」と「小布施堂」を頼りに電脳網で検索してみた。
某サイトのこんな記述にヒットした。
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高井鴻山はどのような人だったのでしょうか。
姓は市村、名は健。
文化3年(1803年)信濃国高井郡小布施村(幕府領・松代藩)の豪農商10代目熊太郎、母ことの四男として生まれました。
8代目作左衛門 が鴻山の祖父で、天明の飢饉時に倉を開放して、その巨万の富を困窮者の救済に当てました。
それが幕府に認められて、「高井家」の名字帯刀を許可されます。
(中略)
15歳の時に京都へ遊学し、国学、蘭学、漢学などを広く学び、その後江戸に出て詩文や書、絵画など芸術にも優れた才能を発揮しました。
小布施に戻った後の鴻山の元には北斎をはじめ、多くの文人達が訪れています。
(中略)
鴻山が妖怪画を描き始めた時期は、比較的遅く、おおむね鴻山45歳(1850年)頃からと考えられます。
「祥雲寺展墓 妖怪屏風」は高井家の墓所である祥雲寺を訪れた時の思いを妖怪図と漢詩で示したものです。
漢詩に「老眼の涙、潜然たり。知らず今より後、幾年我身を埋める。人生は幻夢のみ。誰か能く永存期せん」とあり、人生の終焉を妖怪図に託しています。
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早速、小布施のキーワードのひとつ、「高井鴻山」に出遭ったのであった。

改札口を出る。
待合室の壁に貼ってある映画のポスターが目に入る。
何処へ行っても映画のことが気になるのである。
但し、今回は映画そのものではなく、映画館のことが気になるのである。
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ポスターに「長野駅前 千石劇場」とある。
朝、駅前の飲み屋街で見た、あの千石劇場である。
隣りのポスターには「長野相生座・ロキシー 長野市権堂町(アーケード通り中央)」とある。
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小布施の皆さんは長野電鉄に乗って、長野へ映画を見に行くのだ。

今日の jitensha。
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「先ず、岩松院へ行きませう」。
「そうしませう」。
こうして、「天空ポタ/究極の下りま専科」の旅の最後の訪問地、小布施の市中めぐりが始まるのであった。

フォト:2013年9月10日

(つづく)

by kazusanokami | 2013-10-21 22:02 | 天空ポタ/究極の下りま専科2013


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