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『上総守が行く!』

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2013年 11月 07日

『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8

「坂野家住宅」。
居室部の蔀戸(しとみど)などを眺めたあと、ボランタリーの人であろうか、ご婦人の案内で懇切丁寧な説明を受けながら、一の間、二の間、三の間をめぐる。
坂野家は、農事に携わるのみならず、文化人との交流を図るなど、この地域の芸術・文化の振興にも力を注いできたとのことで、座敷には文化の薫りが漂う。

文化人を招き入れたであろう、二の間東側の玄関/二の間から。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_6595566.jpg
表から見た玄関(再登場)。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_4562775.jpg
一の間/欄間。
欄間には坂野家の家紋である蔦の彫り物が見られる。
左右の欄間を見比べる。
こちらの欄間は、レリーフのように、蔦の葉の彫り物が見られる。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_739222.jpg
こちらの欄間には、蔦の葉の彫り物はなく、菊の花の透かし彫りとなっている。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_7395247.jpg
改修のとき、レリーフ状の蔦の葉が外れ、そこに菊の透かし彫りが現れたとのことだ。
その蔦の葉の彫り物は床の間に飾られていた。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_7494711.jpg
何故、菊の透かし彫りの上に蔦の彫り物が被せられていたのか。
それについては、後ほど、述べることとしたい

一の間/戸袋。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_7511318.jpg
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_7531677.jpg
戸袋にはられた絵をながめながら、ふと、幼き頃、襖を破ってしまったことが時々あり、その破れを隠すために絵やポスターや映画の広告を貼ったりしていたことを思い出した。

藤田東湖の書。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_10293495.jpg
「一、新刀壱揃 一、勝(於)武師壱把...寸志...表...藤田〇〇〇 嘉永六年十二月二十四日」。
藤田東湖が坂野家11代当主坂野耕雨に御礼として新刀と鰹節を贈ったときの書状とのことだ。
藤田東湖は江戸時代末期の水戸藩士で、文武両道に優れ、激烈な尊皇攘夷論者であった。
嘉永6年(1853年)、黒船が来航し、藩主徳川斉昭が海防参与として幕政に参画すると東湖も幕府海岸防禦御用掛として斉昭を補佐し、一旦、解かれた側用人に復帰するなど水戸藩の中心人物の一である。
坂野家11代当主坂野耕雨は、勤皇思想を持つ江戸時代末期の漢詩人である梁川星巌(うやながわせいがん)の塾において藤田東湖などと共に尊王の大義を学んだ関係で、水戸藩の討幕派や各藩の志士たちと交友があった。
そうした関係もあって、黒船来航時に坂野家が水戸藩に舟を用立てしたことに対し、東湖から坂野家に礼があったということのようだ。
書状の日付は嘉永6年12月24日、ペリー提督率いる黒船が浦賀へ来航したのは嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、話は整合している。
で、先ほどの欄間の彫り物に話を戻す。
坂野家11代当主坂野耕雨は尊王の大義を学んだとのことなので、菊の花の透かし彫りでは畏れ多いと、家紋である蔦の彫り物でそれを隠したということのようだ。

菊の花の紋様に蔦の葉の紋様、当主と藤田東湖の交流、尊王思想、黒船の来航、士農工商を問わず、市井には識者が。
幕末の、隠れた歴史を見る思いである。

別間から欄間を垣間見る。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_11515985.jpg
正面から欄間を眺める。
久し振りに、"畳み地べた写真"も撮ってみた。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_1155348.jpg
ニの間/床の間と掛け軸。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_10165859.jpg
書の最後に「行斎叟」の名が読み取れる。
坂野家第12代当主坂野行斎の書である。
坂野行斎は、11代当主坂野耕雨の嗣子で、12代当主となる。
若くして老成人の風格を持ち、豪気な人物であったという。
山水の遊を好み、西南諸州の名勝を訪ねて西往紀行二巻、同詩草一巻を記している。
学者肌の人物で、月波楼に残された書画の分類整理も手がけ、また、耕雨の「月波楼遺稿」も彼の手により刊行された。
「坂野家墓所石塔図」を表し、家系の整理も行っている。

仏間。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_11574127.jpg
掛け軸。
『将門の郷ポタ/坂野家住宅(4)』 sk-8_a0104495_1273683.jpg
書の最後に「耕雨福」の名が読み取れる。
前述の、藤田東湖と親交のあった坂野家第11代当主坂野耕雨の書である。

主屋の座敷から西側に繋がる書院「月波楼」へと移る。

フォト:2013年9月21日

(つづく)

by kazusanokami | 2013-11-07 07:07 | 将門の郷ポタリング


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