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『上総守が行く!』

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2014年 01月 24日

『ドラポタ走り初め 2014』 hz-9

新宿通り、外堀通りを走り、本郷へと向う。

東京大学正門。
『ドラポタ走り初め 2014』 hz-9_a0104495_151125.jpg
「大学入試センター試験」の貼り紙が。
この日、1月18日と翌19日は大学入試センター試験。
我々の世代には斯様な試験はなかったが、昔も今も受験生には勝負!の季節だ。
久しぶりに東大構内のジョサイア・コンドル像と三四郎池をと思って来訪するも、構内に入るのは憚られる雰囲気であったので、これは見送りとした。
「安田講堂地下のタンメンが旨いんですよね」の言葉に後ろ髪を引かれながら、次の「本郷/文学の旅」に。

「本郷/文学の旅」の一つ目は、石川啄木ゆかりの蓋平館別館跡。
『ドラポタ走り初め 2014』 hz-9_a0104495_102536100.jpg
石碑には啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂に我泣き濡れて蟹とたわむる 」が刻まれている。

石碑の脇の案内板に目を通す。
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石川啄木ゆかりの蓋平館(がいへいかん)別館跡
(東京都文京区本郷6-10-12 太栄館)
石川啄木(一(はじめ)・1886~1912)は、明治41年(1908年)5月、北海道の放浪から創作生活に入るため上京し、赤心館 (オルガノ工場内・現本郷5ノ5ノ6)に下宿した。
小説5篇を執筆したが、売込みに失敗、収入の道なく、短歌を作ってその苦しみをまぎらした。
前の歌碑の「東海の………」の歌は、この時の歌である。
赤心館での下宿代が滞り、金田一京助に救われて、同年9月6日、この地にあった蓋平館別荘に移った。
3階の3畳半の室に入ったが、「富士力見える、富士が見える」と喜んだという。
ここでは、小説『鳥影』を書き、東京毎日新聞社に連載された。
また、『スバル』が創刊され、啄木は名儀人となった。
北原白秋、木下杢太郎や吉井勇などが編集のため訪れた。
東京朝日新聞社の校正係として定職を得、旧本郷弓町(現本郷2ノ38ノ9)の喜の床に移った。
ここでの生活は9か月間であった。
蓋平館は、昭和10年頃太栄館と名称が変ったが、その建物は昭和29年の失火で焼けた。

父のごと秋はいかめし
母のごと秋はなつかし
家持たぬ児に
(明治41年9月14日作、蓋平館で)

-郷土愛をはぐくむ文化財-
文京区教育委員会
昭和56年9月
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石碑は太栄館本館の玄関先に建立されている。
『ドラポタ走り初め 2014』 hz-9_a0104495_1039102.jpg

「本郷/文学の旅」、次は樋口一葉だ。

フォト:2014年1月18日

(つづく)

by kazusanokami | 2014-01-24 10:59 | ポタリング


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