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『上総守が行く!』

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2014年 03月 01日

『お上りさんポタ/赤穂浪士討入凱旋の旅&お預け四家の旅』(4)

富岡八幡宮から深川不動尊に向け、走る。
「富岡八幡宮には東京マラソンに出動した神輿の他に、日本一の大神輿といわれる一宮神輿が御座いまーす。この大神輿の鳳凰や狛犬の目はダイヤモンド、鳳凰の鶏冠はルビーとなっております。神輿庫の前に骨董市の店が出ていたので、この神輿は見ていませんが」と説明しているうちに深川不動尊に到着。

深川不動尊。
「こちらは成田山新勝寺の東京別院。通称、深川不動尊で御座いまーす」。
「門前仲町の門前とは?」。
「深川不動尊の門前ということでありましょう」(正確には、富岡八幡宮の別当・永代寺の門前でありました)。

深川不動尊参道/小磯象牙店。
「こちらが、ショーウィンドーの中は撮影禁止の象牙店で御座いまーす」。

永代通りを東から西へと走る。
永代橋を渡る。
「右手、東京スカイツリーが見えまーす。左手、佃島の高層マンション群、その後方右手は聖路加タワーで御座いまーす。後ほど、聖路加タワー近くを走りまーす」。
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永代橋、隅田川右岸、中央大橋、佃島マンション群"大川端リバーシティ21"の東岸、相生橋へと進む。
「これで、佃島、石川島、越中島などを走ったことになりまーす」。
東京海洋大学、明治丸を眺め、再び、相生橋を渡り、中央大橋北詰、南高橋を経て、鉄砲洲神社の前を通り、聖路加病院に至る。

「中央大橋北詰から南高橋を渡る辺りが昔の霊岸島、今の中央区新川、南高橋を渡った辺りからが昔の鉄砲洲、今の中央区明石町でありまーす」。

「左手のビルが、先ほど、永代橋から眺めた聖路加タワーで御座いまーす。右手の道へと進みまーす」。

「こちら、立教学院発祥の地で御座いまーす。ハリポタ藩摂津守殿つながりでの案内でありまーす」。

「こちらの説明板にあります通り、ここが芥川龍之介生誕の地で御座いまーす。ここで生まれて、今朝ほど訪ねた両国の辺りで育ったのでありまーす」。

「こちらの石柱『浅野内匠頭邸跡』にあります通り、ここが赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷で、『鉄砲洲上屋敷』とも呼ばれていたそうで御座いまーす。この地で生まれた芥川龍之介が短編小説『或j日の大石内蔵助』を著したのも何かの縁かもしれません」。

鉄砲洲から少し走り、新大橋通りに出る。
新大橋通りを走る東京マラソンの一団に遭遇する。
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(注:大塚製薬「アミノバリュー」の宣伝ではありません)
しばし、応援したあと、築地本願寺を訪ねる。

築地本願寺。
「えらく、風変わりな建物ですなあ」。
「西域探検をした大谷光瑞が天竺様式をイメージして伊東忠太に設計を頼んだとのことで御座いまーす」。
「石段下の狛犬をご覧くださーい。西方風に羽を生やした狛犬となっておりまーす」。
「ほんまやなあ。オリエント調やなあ」。

本堂。
「前回、来たときは大谷光瑞の西域探検の様子が展示されていたんですが、残念ながら、今回はありませんね」。
前々日、サントリーホールの演奏会でパイプオルガンを見たので、意味はないが、それつながりで本堂のパイプオルガンをカメラに収めた。
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本堂から東京マラソンを眺める。
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アップで。
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「築地本願寺は赤穂浪士ゆかりの地でも御座いまーす。こちらは、間新六供養塔で御座いまーす。説明書きにあります通り、吉良邸から泉岳寺に向う途中、自身の供養を願い、槍に書状と金子を結び付けて、寺の中へ投げ入れたという伝承があります。この伝承からしても、吉良邸から隅田川東岸、永代橋、霊岸島、鉄砲洲を通り、泉岳寺に向ったと思われます。元赤穂藩浅野家上屋敷の近くも通ったと思われます」。

築地四丁目交差点で信号待ち。
晴海通りから新大橋通りへと走る東京マラソンの一団を眺める。
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一団の左端に、バットマンとスーパーマンの姿が見える。
原図トリミングで、その姿を。
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この数日後、友人のIF氏、TT氏、TK氏と一献傾けた際、IF氏は東京マラソンに出場したとの話があった。
出場者は36000人であったとの由。
築地四丁目交差点のフォトを電子飛脚便添付にて謹呈しておいた。

「そろそろ、昼餉時。歌舞伎座裏の『銀之塔』でビーフシチューを食べましょか」。
2009年12月、ハリポタ藩六々守殿、御典医殿、盟友印旛歩駄守殿夫妻と共に「赤穂浪士討入凱旋の旅」をした際の昼餉も『銀之塔』であったことを思い出し、この店にしたのであった。

昨年4月に新開場した五代目歌舞伎座と東京マラソン。
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歌舞伎の演目といえば、「仮名手本忠臣蔵」、そして、「元禄忠臣蔵」。
「歌舞伎座も『赤穂浪士討入凱旋の旅』の大事な立ち寄り先なのである。
浪士たちはこの辺りを通って泉岳寺に向ったのであろうが、そのときは未だ歌舞伎座がある訳ではなく、また、浪士たちは自分たちが芝居になろうとは夢にも思わなかったであろうが...。

三原橋交差点を歌舞伎座側に渡ろうと思うも、交通規制で渡れない。
jitensha を担いで、地下鉄東銀座駅の階段を下りて反対側に出た。
久方ぶりに「銀之塔」のビーフシチューを味わった。

フォト:2014年2月23日

(つづく)

by kazusanokami | 2014-03-01 23:58 | 赤穂浪士討入凱旋の旅


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