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『上総守が行く!』

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2014年 03月 28日

『芝川CR&見沼代用水CRポタリング/見沼通船堀』 stm-5

芝川/八丁橋に至る。
この辺りから、このポタのハイライト、見沼通船堀や見沼代用水路の始まりとなる。

八丁橋東詰に鎮座する「水神社」。
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神社脇の説明板に目を通す。
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水神社
水神社は、見沼通船堀が開通した翌年の享保17年(1732年)6月の創建と伝えられています。
祭神は水の神である罔象姫命(みづほのめのみこと)をお祀りしています。
享保16年、井沢弥惣兵衛為永によって開削された見沼通船堀が開通し、江戸と見沼代用水路縁辺の村々との物資輸送が可能になりました。
船は、代用水路縁辺の河岸で荷物(江戸時代においては年貢米が主でした)を積んで江戸へ行き、帰りは肥料、塩、酒などの商品を積んできました。
荷物の積みおろしをする河岸場は、芝川と東西の用水路沿いに59ケ所あり、ここ八丁にも河岸場がありました。
八丁河岸周辺には、河川輸送に携わる人たちが住んでおり、水神社は、そのような仕事につく人たちが水難防止を祈願して祀ったものです。
なお、本殿は大正12年9月1日の大地震により全壊し、同13年に再建されたものです。
また、境内は国の史跡「見沼通船堀」の一部になっています。
平成24年3月
さいたま市
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八丁橋から芝川の川上方面を眺める。
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右側(東側)の道に小さな橋が見える。
これが見沼代用水路東縁と芝川を繋ぐ見沼通船堀の出入り口である。
左側(西側)の道にも小さな橋が見える。
これが見沼代用水路西縁と芝川を繋ぐ見沼通船堀の出入り口である。
見沼代用水路とその東縁・西縁とは何ぞやについては、後ほど、述べることとしたい。

「あちらに何やら立派な民家がありますね。ちょっと、立ち寄っていきましょう」ということで、県道103号線を少し西に向い、南国守さんの企画書外の旧家を尋ねた。
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建物脇の説明板に目を通す。
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鈴木家住宅
国指定史跡見沼通船堀のうち昭和57年7月3日指定
享保12年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛為永に従って見沼干拓事業に参加しました。
享保16年の見沼通船堀の完成と同時に、鈴木・高田両家は幕府から差配役に任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などには通船会所を持っていました。
鈴木家は各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立になり、見沼通船堀の船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。
平成9年3月
さいたま市教育委員会
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住宅内部の見学は不可、今も鈴木さんが住まわれているとのこと。
住宅裏庭の資料館でいろいろとベンキョー。

再び、八丁橋を渡り、芝川を少し遡り、小さな橋を渡って右折。
「見沼通船堀」を見学。
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通船のしくみ
見沼通船堀に使われた船は「ひらたぶね」と呼ばれるそこの平らな長さ11m・幅2m程のもので約60kgの米俵100~150俵積みの小型船でした。
江戸から来た船が八丁河岸に着くと船頭は、近所の人々に声をかけ人々を集めます。
およそ20人くらいの人々が土手から綱を引いて一の関まで引きます。
一の関では水門から勢いよく流れ出る水の上を一気に引き上げます。
そして、このとき二の関は水位を保つために閉められています。
船が一の関にはいると「枠抜き」の人が角落板を一枚ずつ積み上げます。
板を10枚近く積み上げると水位は二の関の敷板の高さまで上がり、二の関に入ったときと同様に船は引き上げられ、代用水まで引かれて通船が終わります。
見沼代用水から芝川へ船が下るときは逆の手順で行い、関に積み上げられた角落板が1枚ずつ外されて楽さを無くして船を通過させます。
このように通船堀の船を通すには、大勢の人々と手慣れた船頭の力が必要でした。
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芝川と見沼代用水の水位差が約3mあったことから運河に関(閘門)を設け、水位差を克服し、船を通過させていたのである。
閘門式運河では日本最古の部類に入るとのことである。
見沼通船堀を見て思い出すのは、20数年前にロンドンに住まいしていた頃に見た英国の運河のロック。
有名どころでは、マーローのロック。
その他にも、地方の運河を見ているとロックの開閉が機械式のものであったり、手動式のものがあったりと多種多様。
その頃、まだ、年少であった息子二人は Canal Boat の通過で手動式を手伝っていたこともあった。
因みに、皇太子殿下は、オックスフォード大学留学時、英国水運史を研究されたと記憶するので、運河やロックの研究もなさったのであろう。

第一の関(芝川側出入り口)。
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第一の関(見沼代用水側側出入り口)。
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第二の関。
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見沼通船堀沿いを進むと正面に「木曽呂の富士塚」が見えてくる。
富士塚を背に見沼通船堀を眺める。
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「次は富士塚です。富士塚の隣りに日本料理屋がありますんで、そこで昼餉を摂りましょう」とナビゲーターの南国守さん。
富士塚の裾を流れる見沼代用水路を渡り、坂道を上り、富士塚へと向う。

フォト:2014年3月22日(#7/大給守殿提供)

(つづく)

by kazusanokami | 2014-03-28 07:15 | 彩の国ポタリング


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