2014年 05月 09日
”緑のヘルシーロード”を更に走る。 埼玉県のマスコットの「コバトン」と1ヶ月ぶりの再会だ。 前回、この由緒を知ったとき、次回、機会があれば、武衛さんを案内せねばならない神社だと思った。 何故なら、武衛さんは源頼朝の別名「武衛」を由来とするハンドルネームとしており、源氏ゆかりの御方であるからである。 (鷲神社の詳細については、3月29日付『芝川CR&見沼代用水CRポタリング/帰路も向い風』をご覧ください) 更に走り、見沼自然公園を抜ける。 見沼代用水の水路はコンクリートで固められてしまっているが、見沼自然公園沿いの水路だけは素掘りの面影を残している。 前回はここで折り返したが、今回、ここから未踏の地(ちょいと、大袈裟か!?)に入るのである。 見沼弁財天。 「この赤い建物は緑のヘルシーロードのサイトに必ず出て来ます」と、彩の国の領主、南国守さん。 「であれば、記録写真(???)を」と上総。 弁柄色風になるにはまだまだ月日が掛かるであろうが、真に結構な風情である。 走る。 「利根大堰まで〇〇km」の標識はほぼ1km毎に立てられているが、<33>のぞろ目なので、記念に1枚! 並んでいるものは何でも好きだ。 ということで、ぞろ目も好きだ。 サイクルコンピュータの走行距離の全桁が一瞬同じ数字で並ぶことがある。 これを見るのもポタリングの楽しみのひとつだ。 昔、結構、熱中したパチンコの<777>フィーバー!がDNAに刻み込まれてしまっているのかもしれない。 大きな石碑が見えて来た。 ここは jitensha を止めてじっくりとと思い、ベルをチン、チン、チンと鳴らすも、先頭を行く南国守さんは気づかず。 おーい、おーい、と声を掛けるも気づかず。 碑とこの場所のことにについてのベンキョーはあとでするとしても、そのヒントとなる写真だけは撮っておかねばならない。 jitensha を止め、武衛さんと二人で石碑を眺める。 石碑は三つある。 向って右から、明治43年(1909年)建立の「改修懸樋碑記」、大正5年(1916年)建立の「懸樋改修碑記」、平成元年(1989年)建立の「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」である。 右/明治の「改修懸樋碑記」と左/大正の「懸樋改修碑記」。 この違いは後ほどの後付けベンキョーで分かることとなる。 平成の「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」。 石碑の背後にある閘門。 見沼代用水の「懸樋」のことは事前ベンキョーで承知していたので、直ぐに理解出来た。 また、上尾市瓦葺地区に見沼代用水の東縁と西縁の分岐点があるということも事前ベンキョーで知っていたので、それが此処であることをこの目で確認出来た。 石碑のみならず、閘門も含め、この周辺をしっかりと見ておけば、この場所の水路の構造などもこの目で見られたはずなのだが、時間の都合上、碑を眺め、何かのヒントになるだろうとと閘門をカメラに収めただけで、先行する南国さんを追い掛けたのであった。 帰宅後、電脳網で「改修懸樋碑記」と「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」で検索したところ、わんさかと情報が出て来た。 軽めの事前ベンキョーで知ったこと、深めの後付けベンキョーで知ったことを掻い摘んで綴っておきたい。 見沼代用水の東縁(ひがしへり)と西縁(にしへり)に分かれる場所は「上尾市瓦葺」、上尾市立瓦葺中学校の近くである。 Yahoo!マップで「瓦葺中」で検索するとこの場所が現れる。 この場所は「瓦葺伏越」と呼ばれている。 ここで、利根大堰から流れて来た見沼代用水と綾瀬川が交差しており、代用水の水路を川の下にくぐらせ、サイフォンの原理で代用水を通しているのである。 こうした構造を「伏越(ふせごし)」というのだそうだ。 当初は「伏越」ではなく、「懸樋(かけとい)」であった。 「懸樋」とは水路橋のことである。 「懸樋」は、最初は木製であったが、レンガ造りに改修された。 その竣工を記念して建立されたのが明治43年(1909年)の「改修懸樋碑記」なのである。 このレンガ造りの懸樋が洪水で損傷し、それを修復した際、その修復を記念して建立されたのが大正5年(1916年)の「懸樋修繕碑記」なのである。 その後、昭和43年(1968年)に完了した利根川導水路合口第1期事業および昭和63年年度(1988年年度)に完了した合口第2期事業の一環として、懸樋から伏越に改修され、現在の形になったのである。 因みに、この事業の「合口(ごうぐち)」とは、河川に設置された何系統もの取水口を1か所に集約し、新しい水利系統に統合し、取水量の確保と配分や施設の維持管理を効率化する手法のことである。 これらの事業の竣工を記念して建立されたのが平成元年(1989年)の「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」なのである。 Yahoo!マップで「瓦葺中」(上尾市立瓦葺中学校)の付近を最大で拡大すると、綾瀬川の下を見沼用水路がくぐっているのが地図上できちっと読み取れる。 以上が電脳網を駆使してベンキョーしたことである。 電脳網でヒットした資料のコピペも一部、含まれていることを付記しておきたい。 で、折角の機会でもあるので、平成元年(1989年)建立の碑文の全文をここに書き残しておきたい。 ---------------------------------- 埼玉合口2期事業 見沼代用水路東西竣功記念碑 埼玉県知事 畑和 書 碑文 見沼代用水路は、徳川8代将軍吉宗の新田開発の命により、享保12年(1727年)見沼溜井を干拓しこれに代わるものとして水源を利根川に求め、行田市大字須加地先に取水口を設け長大な水路が開削され、爾来260有余年に亘り、埼玉県行田市他18市6町2村及び東京都足立区の沃野に潤沢な農業用水を灌いできた。 然るに、昭和30年前後より日本経済のめまぐるしい進展が首都圏に都市用水需要の増大をもたらし、これと相俟って東京オリンピックの開催により水資源の開発が急務となった。これに対応するため、埼玉合口1期事業として昭和43年利根大堰が建設され、農業用水取水口を統合し、埼玉県及び東京都への都市用水の供給を可能ならしめた。 その後も経済発展は持続し県南地域の都市化は農地の潰廃を早め、農業用水を都市用水に転用する機運が急速に高まった。 一方これに係る施設及び用水路は、老朽化と機能低下が著しく営農上支障を来たし、これを踏まえ組合員27000余名の深い理解と同意を得、水利用の合理化と、安定供給を目的とし埼玉合口2期事業計画が樹立され、昭和53年度より着工の運びとなった。 なお、利根大堰より大宮市東宮下地内大宮第2調節堰及び浦和市上木崎地内正樹院橋上流地点までは、水資源開発公団が施工し、同地点より東西縁下流川口市地内に至る区間は、埼玉県直轄工事として、県営及び団体営かんがい排水事業、県単見沼下流農業用水合理化事業にて実施した。この間幾多の艱難辛苦を克服し、先人が築いた偉業とその意を体し、近代技術の粋を集め昭和63年度をもって歴史と伝統を誇る用水路の竣功の喜びを見るに至った。 本事業実施に際し、国・県・東京都・関係市町村の御指導御援助と、組合員各位の深い理解と御協力に対し深甚より感謝の意を表し、本事業の使命達成はもとより沿線住民の安らぎと憩いの場として活用されんことを祈念し茲に概要の一端を刻す。 平成元年3月吉日 撰文 見沼土地改良区理事長 渡辺一郎 事業概要 水資源開発公団営事業 総事業費:524億円、基幹線水路31.7km、東縁用水路6.2km、西縁用水路10.6km 県営かんがい排水事業 総事業費:16億5500万円、東縁用水路3.2km、西縁用水路6.0km 団体営かんがい排水事業 総事業費:21億100万円、東縁用水路7.0km、西縁用水路3.5km 見沼下流農業用水合理化事業 総事業費:37億500万円、東縁用水路9.7km、西縁用水路1.3km ---------------------------------- =備考= 原文通りながら、縦書きを横書きに、漢数字をアラビア数字に置き直す等、一部、筆者にて手を加えた。 土木技術、土木機械は異なれど、江戸時代の大工事、明治以降昭和にかけての大工事に敬意を表するばかりである。 そして、碑文末尾に「沿線住民の安らぎと憩いの場として活用されんことを祈念し」とある。 沿線住民ではないが、こうして見沼代用水沿いのポタリングを愉しませて貰っており、安らぎと憩いの場とさせて貰っている。 ただ、「見沼代用水」という歴史ある立派な名を持っている水路沿いのサイクリングロードなので、「緑のヘルシーロード」などという訳の分からない名前ではなく、「見沼代用水サイクリングロード」とすべきではないかと思うのは小生だけであろうか。 しかし、それは些細なこと。 江戸時代から昭和の間、尽力された人たちに感謝!だ。 フォト:2014年4月26日 (つづく)
by kazusanokami
| 2014-05-09 08:57
| 彩の国ポタリング
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