『上総守が行く!』

kazusanokm.exblog.jp
ブログトップ
2014年 05月 12日

『彩の国/緑のヘルシーロード/芝山伏越、八間堰、十六間堰』 ts-5

元荒川に架かる高虫橋を渡る。
見沼代用水は「伏越」で元荒川の下をくぐっている。
見沼代用水上流側の伏越入り口は白岡市柴山、見沼代用水下流側の伏越出口は蓮田市高虫。
上流、入り口側の地名をとって、「芝山伏越」と名付けられている。
a0104495_6435973.jpg
写真で説明すると;
この写真は高虫橋から元荒川の下流方面を見ている。
写真左側に見える白い建物は「芝山伏越」の施設の一部である。
見沼代用水は、この白い建物の辺り(芝山)から元荒川をくぐり、対岸(高虫)に出ているのである。

帰宅後の後付けベンキョーも含めて、「芝山伏越」について掻い摘んで綴っておこう。

見沼代用水の開削当初(1727年、享保12年)は、伏越(木製の樋を埋め込み))と懸樋(木製の樋の水路橋)であった。
その後、懸樋は洪水で破壊されたり、元荒川の舟運の邪魔になるということで、宝暦10年(1760年)に撤去され、新たに伏越が設けられ、以前からの伏越と合わせ、2連の伏越になった。
その後、老朽化の激しい木製の伏越は修理や伏せ換えを続けながら維持された。
明治20年(1887年)、当時の最先端の建材であった煉瓦を使って大改修が行われ、200年以上も続いた木製の2連から煉瓦造りの1連となったのであった。
第3話で登場した「瓦葺伏越」が懸樋から伏越に改修されたのは昭和の終わりの頃のことである。
一方、「芝山伏越」は江戸時代から伏越であった。
江戸時代から200余年、修理や伏せ換えを重ねながら、木製のまま明治に至り、漸く、煉瓦造りとなった。
江戸時代から伏越であったことに加え、埋設した樋が木製であったことからしても、江戸時代の伏越の土木技術は大したものであったことが十分に窺える。

Yahoo!マップで「埼玉県白岡市 常福寺」で検索すると芝山吹越の付近が現れる。
元荒川に架かる高虫橋の辺りを拡大すると、見沼代用水が元荒川の下をくぐっていることがよく分かる。

柴山伏越の近くに「常福寺」という寺がある。
この寺には、見沼溜井の干拓や見沼代用水の開削に携わった幕臣、井沢弥惣兵衛為永の墓がある。
時間の都合上、「芝山伏越」の辺りをゆるりと見ることもなく、墓参りは次回の愉しみとして、先へと進む。

「また、東北新幹線?」、「いや、高速道路のよう」、「まだ、建設中やね」。
建設中の圏央道なのかもしれない。
a0104495_645225.jpg
ぞろ目だ!
「利根大堰まで22km」。
a0104495_7294653.jpg
八間堰。
a0104495_6474837.jpg
十六間堰。
a0104495_6483423.jpg
今回は、集合時刻や集合場所の都合上、下流からのスタートとせざるを得なかったが、八間堰や十六間堰を見て、やっぱり、モットー通りに走るのが一番いいなと思った。
モットーとは、川沿いのサイクリングロードは上流から下流に向けて走るということである。
見沼代用水は川ではなく水路ではあるが、利根大堰から取水した水路なので、利根川の支流のようなもの。「川」と同じ扱いである。

ということで、八間堰と十六間堰の説明は上流から下流へと走ったつもりで綴ることとしたい。
これも電脳網を駆使し、後付けベンキョーしたことも含めてのことである。

見沼代用水路の上流部は開削当初から自然河川の星川を水路として利用している。
即ち、見沼代用水と星川は行田市見沼公園の辺りで合流し、久喜市菖蒲町上大崎の辺りで分流する。
分流する手前に八間堰と十六間堰がある。
八間堰を流れ出た水は見沼代用水に、十六間堰を流れ出た水は星川となる。

写真の「八間堰」は南側から見ている。
我々は見沼代用水右岸を北上して来て、この八間堰を正面に見て、左折し、八間堰(=見崎橋)を渡り、右折して、見沼代用水(=星川)左岸を北上。
すると、右手に十六間堰が見えて来たのである。

Yahoo!マップで「埼玉県久喜市 菖蒲図書館」で検索するとこの辺りが現れる。
南北に見沼代用水が流れ、東へ星川が流れ、分流していることがよく分かる。

キリのいい数字。
「利根大堰まで20km」。
a0104495_6492266.jpg
ここが最も狭いサイクリングロードだったかも。
もう一ヶ所、スッゴク、狭いところがあったような気も。
a0104495_6511492.jpg
県道12号線、仲橋の西詰を横断し、右岸を北上する。
見沼代用水と星川が合流しているので、水路というよりも川のようである。
a0104495_6525915.jpg
利根大堰が近いせいか、流れは結構きつい。
そんな中、キンクロハジロの群れが遊んでいる。
a0104495_6544089.jpg
「走りながらずっと思っていたんですが、見沼代用水はこの星川も含め、ゴミが流れているようなことが全くありませんね」。
「ほんと、そうですね。生活排水が流れ込んでいるようなところも見ませんね」。

緑の牧草畑と「コロン」。
a0104495_6595785.jpg
昔、一時、英国にいた頃、刈り取った牧草を丸めた形がグリコのお菓子「コロン」に似ていることから、子供たちは丸めた牧草を「コロン」と呼んでいた。

閘門と、キリのいい数字、「利根大堰まで15km」。
a0104495_76487.jpg
この見沼代用水・星川合流区間の途中には幾つかの閘門が設けられている。
見沼代用水の下流で溢れそうなところが一ヶ所あり、あれこれ議論があったが、やっぱり、水量はこうした閘門で調整しているのであろう。

県道38号線、榎戸橋の西詰を横断する。
見沼代用水・星川合流区間はまだまだ続く。
a0104495_791794.jpg
大谷石の蔵であろうか。
a0104495_710816.jpg
「利根大堰まで9km」。
「利根大堰まで10km」は、ブヨがいっぱい飛び交っており、それに気を取られて、撮り損ねた。
利根大堰まで一桁になった。
a0104495_711663.jpg
「利根大堰まで〇〇km」の標識が立てられている地面には必ずプレートも埋め込まれている。
前方に新たな閘門が見える。
a0104495_7135555.jpg
-----------------------
↑上尾市
瓦葺分水工へ23.8km
ここは
行田市小針
↓行田市
利根大堰へ9.8km
-----------------------
各地のサイクリングロードでは路面にペンキで距離が大書されているのが多い。
それは読み易いのが、この路面埋め込みプレートは走りながらではよく読めない。
見易いようにと、新たに標識が立てられたのであろう。
因みに、「瓦葺分水工」は「瓦葺伏越」のあった場所で、「分水工(ぶんすいこう)」とは水路の流水を必要な所へ分流させる施設のことである。

利根大堰まで残すところ、5kmくらいのところで、県道125号線に入り、行田市街へと向う。
a0104495_7152156.jpg
「ああ、こわーっ!歩道に入っていて、よかった!」
a0104495_7155453.jpg
これから訪ねる「さきたま古墳群」、「忍城址」の方角を標識で視認する。
a0104495_7162151.jpg
交差点脇の蕎麦やで昼餉を摂る。

フォト:2014年4月26日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-05-12 08:46 | 彩の国ポタリング


<< 『彩の国/緑のヘルシーロード/...      『彩の国/緑のヘルシーロード/... >>