我々の時代の丹下左膳は、大河内傳次郎でも阪妻でもなく、映画では大友柳太郎、テレビでは丹波哲郎でした。
「丹下左膳」の看板は、とんかつの「もりたや」さんでした。
これには”仕掛け”はないようです。
溝口健二監督、京マチ子、田中絹代主演「雨月物語」。
1953年の作品ですから、私はまだ小学校へ上る前の映画。
近年はDVDの時代ですから、リマスター版で観ることが出来ます。
昔は、どの家庭にもクーラーなんていうものはありませんでした。
夏は、湯涼みがてら、映画館へ行くということもありました。
或る年の夏の夜、親父と兄貴と私の三人で映画を観に行きました。
映画は、「四谷怪談」。
映画が終わり、家へ帰ると、「子供が、夜、映画なんか観てはいけません」とお袋に随分叱られました。
新聞の折込ちらしの裏に「これからは、夜、映画に行きません」と誓約書を書かされました。
親父と兄貴はどうしていたのかは記憶にありません。
また、或る年の夏の夜、映画を観に行きました。
そのときは、親父とお袋と私の三人でした。
映画は、「無法松の一生」と「ちゃっきり金太」の二本立てでした。
三船敏郎演じるところの松五郎が「ぼん」という度に、私自身が「ぼん」のような気分になったことを思い出します。
「ちゃっきり金太」は三木のり平さんが軽妙に演じるスリの喜劇だったと思います。
この映画を観に行ったとき、何故、兄貴と妹はいなかったのかは、記憶にありません。
お袋が叱ったのは、夜、映画に行ったからと長らく思っていましたが、本当は「夜、子供が四谷怪談など見たら便所に行けないでしょう」ということだったのかもしれません。
そうであれば、夜、湯涼みがてら、「無法松の一生」、「ちゃっきり金太」を見に行ったことに合点がいきます。
(つづく)