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『上総守が行く!』

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2008年 12月 02日

『青梅/映画看板街道の旅/その六』

まさに「映画看板街道」!
総てを掲載出来ませんが、邦画特集として一挙公開!

「新諸国物語 紅孔雀」(1954年~1955年)。
ラジオを聴くだけでも楽しかったのに、映画になった嬉しさ、映画で観た嬉しさは、今でもしっかり覚えています。
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アップで!
「総天然色」で!
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「少年探偵団 妖怪博士」(1956年)、「江戸川乱歩の黄金仮面 妖精の美女」(1977年、TVドラマ?)。
近々、金城 武、仲村トオル主演による「K-20」と題された映画が公開されます。
「K-20」って?
そうです、怪人二十面相です!
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「剱雲白鷺城」。
瓦屋根の家が白鷺城に見えて来ます。
これも”仕掛け”かな?
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三船敏郎、仲代達矢主演「用心棒」(1961年)、阪東妻三郎主演「丹下左膳」(1952年)、更に洋画の「ヘッドライト」(仏、1956年)、チャップリンの立て看板も、と盛りだくさんの家!
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路地を入ると、大河内傳次郎主演の「丹下左膳 妖刀隻手の巻」(1938年?)。
大河内傳次郎は数多の「丹下左膳」で主演しており、この看板は渡辺邦男監督、山田五十鈴共演の「妖刀扁」(1938年)と「隻手扁」(同)を再編集した版と思われる。
我々の時代の丹下左膳は、大河内傳次郎でも阪妻でもなく、映画では大友柳太郎、テレビでは丹波哲郎でした。
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「丹下左膳」の看板は、とんかつの「もりたや」さんでした。
これには”仕掛け”はないようです。
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溝口健二監督、京マチ子、田中絹代主演「雨月物語」。
1953年の作品ですから、私はまだ小学校へ上る前の映画。
近年はDVDの時代ですから、リマスター版で観ることが出来ます。
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昔は、どの家庭にもクーラーなんていうものはありませんでした。
夏は、湯涼みがてら、映画館へ行くということもありました。

或る年の夏の夜、親父と兄貴と私の三人で映画を観に行きました。
映画は、「四谷怪談」。
映画が終わり、家へ帰ると、「子供が、夜、映画なんか観てはいけません」とお袋に随分叱られました。
新聞の折込ちらしの裏に「これからは、夜、映画に行きません」と誓約書を書かされました。
親父と兄貴はどうしていたのかは記憶にありません。

また、或る年の夏の夜、映画を観に行きました。
そのときは、親父とお袋と私の三人でした。
映画は、「無法松の一生」と「ちゃっきり金太」の二本立てでした。
三船敏郎演じるところの松五郎が「ぼん」という度に、私自身が「ぼん」のような気分になったことを思い出します。
「ちゃっきり金太」は三木のり平さんが軽妙に演じるスリの喜劇だったと思います。
この映画を観に行ったとき、何故、兄貴と妹はいなかったのかは、記憶にありません。

お袋が叱ったのは、夜、映画に行ったからと長らく思っていましたが、本当は「夜、子供が四谷怪談など見たら便所に行けないでしょう」ということだったのかもしれません。

そうであれば、夜、湯涼みがてら、「無法松の一生」、「ちゃっきり金太」を見に行ったことに合点がいきます。

(つづく)




by kazusanokami | 2008-12-02 06:59 | 青梅の旅


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