4月2日付掲載の「碑」は、明治34年(1901年)、米友協会により建てられたもの。
その脇に、碑がもうひとつあります。
これは、昭和10年(1935年)に神奈川県庁内伯理記念碑保存協会により建てられたもの。
この碑には、太平洋戦争時の不幸が示されています。
碑文の1行目、「北米」の「米」が削られており、辛うじて残った文字に白ペンが塗り込まれています。
碑文の三行目、「米友協会」の「米」は、完全に削り取られており、窪んだままとなっています。
県庁内に保存会があったということは、明治34年(1901年)、米友協会により建てられた碑が如何に大事にされていたかを示すものでしょう。
記念碑に関する説明書き。
「太平洋戦争中には、敵国を讃えているとして引き倒されたことがある」とあります。
日本とアメリカの関係が、この地に凝縮されているとも言えるでしょう。
(つづく)