先日、平泉、中尊寺を訪れた際、博物館のショップで観光客向けの土産物のひとつとして根付けの家紋が売られていました。
偶然、伊能忠敬の家紋と間宮林蔵の家紋が並んでいました。
師弟の上下が逆でしたが...。
(フォト:2009年10月12日、平泉、中尊寺にて)
9月27日から連載を開始した「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」は、江戸編、常陸国上平柳村編、下総国岡村編、下総国佐原編、番外編と、24話に亘り、jitenshaでの旅を綴ってみました。
江戸時代後期の偉人である、伊能忠敬、間宮林蔵は勿論のこと、幕府天文方の高橋至時・景保親子にも出遭い、また、江戸時代初期の偉人である、関東郡代、伊奈半十郎忠治にも出遭い、小生のビョーキ、"歴史徘徊病"に相応しい旅でした。
伊能忠敬、間宮林蔵ゆかりの地に加え、その際、あちらこちらに立ち寄っており、純粋に「ゆかりの地を訪ねて」での走行距離ではありませんが、今回の走行距離は、9月19日/江戸編:36.30km、9月22日/常陸国上平柳村編&下総国岡村編:65.53km、9月23日/下総国佐原村編:62.23km、再訪問の10月17日/下総国岡村編:53.20kmの計217.26kmでした。
忠敬さん、林蔵さんの歩いた距離とは比べようもありませんが、忠敬さん、林蔵さんの歩きをこれからのポタの励みとしたく...。
伊能忠敬/1745年(延享2年)~1818年(文化15年)
間宮林蔵/1780年(安永9年)~1844年(天保15年)
<完>