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『上総守が行く!』

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2014年 04月 09日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/香取神宮』 swr-6

伊能家菩提寺、観福寺から香取神宮へと向う。
県道55号線を東へ走る。
右手に県立佐原高校を眺めながらしばらく走り、石造りの大鳥居を抜ける。
県道55号線が表参道で、石造りの大鳥居は第一の鳥居である。
更に、走る。
「歓迎」の看板が見えて来る。
香取神宮に到着だ。
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両側に土産物屋が並ぶ参道を進むと、朱色の大鳥居(第二の鳥居)が見えて来る。
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「何処に愛馬を止めましょうか」。
「総門のところから反対側に出て津宮に行くので、総門のところまで押して行きましょう」。
朱色の、第二の鳥居をくぐり、参道を<押し>で進む。
第三の鳥居と総門。
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鳥居脇に愛馬を止める。
鳥居脇の狛犬をカメラに収める。
久しぶりの、狛犬コレクションだ。
阿形の狛犬。
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吽形の狛犬。
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総門に向う石段を上りかけたところ、「平成二十六年四月 香取神宮午歳式年大祭」と大書された立て札が目に入った。
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「式年大祭とは何ぞや?」と思いながら石段を上ると総門の柱に「平成二十六年 香取神宮式年神幸祭 御奉賛のお願い」なる看板が立て掛けられていた。
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香取神宮の式年神幸祭は、香取、鹿島の大神が邪神討伐、威武剣徳の古例による事といわれ、その規模は雄大にして行事は壮観なること比類無しと伝わる神事です。
古い祭礼図によれば、約八百年余り昔、土御門天皇の建仁年間にはこの祭礼が行われていたと伝えられております。
平成二十六年四月十四日は、勅使参向のもと、例祭が斎行され、翌十五日、十六日の二日間に亘り、式年神幸祭が斎行されます。
この大神幸には、香取神宮氏子約四千名がそれぞれの町内に伝わる陣羽織、甲冑などの装束に身を固め、お供します。
十五日、午前八時三十分に本宮を発輿され、正午過ぎに御神輿は津宮鳥居河岸より、御座船に御乗船になり、多くの供奉船を従えて利根川を遡り、途中、鹿嶋神宮の御迎祭を受けて、佐原に再上陸になります。
その後、小江戸佐原を御巡幸、佐原に御駐泊され、翌十六日、再び佐原を御巡幸の後に、本宮へ還御遊ばされ、二日間に亘る絢爛たる時代絵巻が繰り広げられます。
十二年に一度、牛年毎に斎行されますこの式年神幸祭は、香取の大神様の御神徳により、国家国民の安寧と繁栄をたれ賜る一大神事であり、併せて東日本大震災復興、国威の発揚を祈念するものであります。(以下略)
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なるほど!12年に一度の、午の年の式年行事なのである。
15日の正午過ぎに、こんな風景が見られるということである。
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2年前に佐原を訪れたときは、対岸から津宮の大鳥居を眺めた。
4月15日に御座船が多くの供奉船を従える風景を見に来るときには、超望遠レンズを携えて、対岸から眺めるというのがよいかもしれないななどと、既に心は津宮での御座船乗船の儀に。

総門、楼門をくぐり、拝殿へと進む。
参拝。
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「香取神宮はなかなか立派な神社ですなあ」、「ええとこでしょう。黒塗りの社が気に入ってます。昔、日の出汽船が香取丸とか鹿島丸という船名を付けていたこともあって、より馴染み深く感じる神社です」。

楼門の、木造の狛犬をカメラに収める。
阿形の狛犬。
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吽形の狛犬。
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今一度、総門下に掲げれられていた「式年大祭 神幸祭祭儀日程」を見る。
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「式年神幸祭に来るなら、やはり、15日の昼の、津宮河岸での御座船乗船だね」と南国さんと小生の意見、一致。

津宮の大鳥居へと向う。

フォト:2014年3月29日

(つづく)

by kazusanokami | 2014-04-09 17:56 | 坂東太郎下流の旅
2014年 04月 09日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/観福寺墓参り』 swr-5

「伊能忠敬さんの墓参りに付き合って貰えますか」、「うん!「行きましょう」。
伊能忠敬旧宅から数キロ離れた、伊能家菩提寺である観福寺へと向う。

観福寺。
山門と桜。
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伊能忠敬墓と桜(観音堂の屋根の辺りにうっすらと)。
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「こちらの墓は遺髪と爪が埋葬されているそうです。本当の墓は東上野の源空寺にあります。伊能忠敬の遺言で、生涯、師と仰いだ高橋至時(よしとき)の隣に建てられています。高橋至時はシーボルト事件に関わった高橋景保のお父さん。高橋至時、伊能忠敬、高橋景保が『大日本沿海輿地全図三人頭』。東上野の源空寺へは、また次の機会に案内します」。

本堂。
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山門(内側)と桜。
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2009年9月23日、同地を訪ねたときのことを綴った同年10月22日付ブログ『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国佐原村編』(第21話) を紐解いてみた。
「モミジの多い、お寺。秋が深まれば、美しい紅葉を見ることが出来るお寺かと。紅葉の頃に、再訪を思いながら、観福寺を後にした」とある。
以来、紅葉の季節には訪れていないが、今回、桜の頃に訪れることが出来た。
因みに、伊能忠敬さんの墓参りは、2010年1月に、盟友、大給守さんと佐原を訪ねたときの墓参も含め、これで三度目となった。

「さて、佐原はこれで終わりですが、香取神宮にお参りしましょうか」。
「うん!そうしましょう」。
「では、香取神宮に参拝し、そのあと、利根川の畔にある津宮の鳥居を訪ねましょう」。
更に続けて、「利根川の舟運に携わる人たちは舟から津宮の鳥居に向って拝めば、香取神宮に参拝したのと同じということだそうです」と講釈を垂れる。

フォト:2014年3月29日

(つづく)

by kazusanokami | 2014-04-09 01:28 | 坂東太郎下流の旅
2014年 04月 08日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/正文堂、見事に復旧!』 swr-4

小野川沿いを散策する。
伊能忠敬旧宅。
佐原といえば伊能忠敬、伊能忠敬といえば佐原であろう(生まれは上総国山辺郡小関村で、九十九里に近い方であるが)。
ということで、佐原で、先ず、訪れねばならないところは伊能忠敬旧宅である。
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「史跡 伊能忠敬旧宅災害後復旧修理工事(第2期)」で閉館中であった。
「災害後」とは東日本大震災後ということである。
今回、佐原を訪れるのは2012年1月15日以来、約2年ぶりである。
2年前の伊能忠敬旧宅はこんな様子だった。
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2年前に佐原を訪れたときは東日本大震災からまだ10ヶ月しか経っていない頃であった。
その頃、町にはこんなポスターが掲げられていた。
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伊能忠敬旧宅は復旧修理中であったが、町のあちらこちらの建屋は2年前の被災の爪痕が窺えないほどに復旧していた。
2年前の様子も交えながら、町の様子をいくつか掲載しておこう。
小野川に架かる忠敬橋西詰の書店「正文堂」。
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2年前はこんな様子だった。
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この書店の醸し出す雰囲気が大好きだ。
殊に、二階の土塗の開き戸が好きだ。
更に、「正文堂」の看板の下の、登り龍、下り龍の彫り物も好きだ(復旧後はガラスかプラスチック板で覆われている)。
「正文堂」の姿が蘇り、嬉しい限りであった。

小野川沿いの風景。
樋橋(とよはし)から上流を眺める。
左端に工事中の伊能忠敬旧宅が写っている。
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忠敬橋から上流を眺める。
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左から三軒目の白壁の建物は2年前はこんな様子だった。
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忠敬橋から下流に少し下がった「いかだ焼き本舗 正上」前あたりから下流を眺める。
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2年前、小野川の下流はこんな様子だった。
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小野川の護岸も見事に復旧。
舟めぐりを愉しむ人たち。
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伊能忠敬旧宅災害後復旧修理工事の完成は今年9月末の予定だ。
秋になったら、また、佐原を訪れることにしたい。
そのときの昼餉は、勿論、長谷川のうなぎだ。
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フォト#1、2、6、9、10、12、16:2014年3月29日
フォト#3、4、5、7、8、11、13、14、15、17、18:2012年1月15日(蔵出し)

(つづく)

by kazusanokami | 2014-04-08 11:18 | 坂東太郎下流の旅
2014年 04月 07日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/平手造酒も飲んだ酒」』 swr-3

「佐原には、東薫酒造と馬場本店酒造のふたつの造り酒屋があります」と説明しながら、町歩きを始める。
先ず、東薫酒造に立ち寄る。
東薫酒造の創業は文政八年(1825年)。
店先のショーウィンドウの中に掲げられている「ごぞんじ 平手の造酒も飲んだ酒」の一言が上総のお気に入りである。
このキャッチ・コピーだけで、三波春夫『大利根無情』の台詞が頭に浮かぶ。
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佐原囃子が聴こえてくらあ、思いだすなあ...
御玉ケ池の千葉道場か、うふ...
平手造酒も、今じゃ、やくざの用心棒
人生裏街道の枯れ落ち葉か...
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店の奥へと進む。
酒の販売所で、南国さんは一本、買い求める。
先ほどの野点で、南国さんが持参した1リットルのペットボトル入りミネラル・ウォーターはなくなった代わりにザックに一本の酒が入った。
水が酒に化けた瞬間であった。
下戸の人たちには酒ゼリーがお勧めだ。

次に、馬場本店酒造に立ち寄る。
「当家の初代は、天和年間(1681~1683)に大和国(奈良県)より佐原の地に渡り、糀屋を起したとあります。酒造を始めたのは五代目、時代は天保十三年(1842年)のことです」(馬場本店酒造HPより)
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右奥の建屋が新しくなっている。
いろんな銘柄の樽の焼き印。
糀屋から始まったとのことなので、「糀善」や「最上」など味醂の焼き印も見える。
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NHKドラマ「櫂」(1999年)のロケ地にもなっている。
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兄弟ブログ「龍人鳥の徒然フォト日記」で「ロケ地探訪記」シリーズをやっており、このあと、立ち寄った小野川沿いのいかだ焼き本舗で見た「ロケのまち 佐原」は既にアップロードしたが、このブログを綴りながら、ここ、馬場本店酒造もロケ地であったことに気づいた。
兄弟ブログ「龍人鳥の徒然フォト日記」で「ロケ地探訪記/佐原」のパート2を追って綴っておこう。

フォト:2014年3月29日

(つづく)

by kazusanokami | 2014-04-07 00:39 | 坂東太郎下流の旅
2014年 04月 07日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/忠敬さんと一緒に昼餉』 swr-2

佐原公園にて野点で昼餉。
伊能忠敬さんと一緒に桜の花を愛でながら...。
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五分咲きといったところかな?
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あれっ、ソメイヨシノがキザクラに変身っ!
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握り飯を頬張る。
湯を沸かし、カップ麺を食す。
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「某のはエースコックの『まる旨 小海老天そば』で御座るが、貴候のは?」。
「某のは『はとんこつスープ 本場九州ラーメン』に御座る」。
「見慣れぬパッケージじゃが、とんこつスープということは博多のメーカーで御座るかな?」。
「茨城県水戸、麺のスナオシに御座る」。
「おお、隣国、常陸国に御座るな」。
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「ああ、食った、食った。こうやって寝っ転がっての桜もなかなかよき眺めに御座る。zzzzz......」。
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伊能忠敬像の台座に刻まれた漢文。
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「仰(あお)いでは斗象(とうしょう)を瞻(み)、俯(ふ)しては山川を畫く(えがく)」。
「天体の観測を行って、立派な地図を作った」と忠敬先生の功績を称えています。
(銅像の説明書き、抜粋)
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南国さんの場合は、「仰(あお)いでは桜花(おうか)を瞻(み)、俯(ふ)しては春眠を覚ゆ(おぼえる)」。
伊能忠敬さん、茶化して済みません!

フォト:2014年3月29日
フォト#7:2009年9月23日(2009年10月20日掲載「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国佐原村編」より抜粋)

(つづく)

by kazusanokami | 2014-04-07 00:38 | 坂東太郎下流の旅
2014年 04月 06日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/新発見!@利根川CR』 swr-1

3月29日、晴れ。
この日はドラポタのメンバー4人で「小貝川福岡堰花見ポタ+坂野家住宅見学」を予定していたが、当日の朝、2人がドタキャン、出馬は南国守さんと小生だけとなった。
小貝川CRは昨年6月に南国さんを案内済みだし、坂野家住宅は昨年9月に南国さんと2人でルート開拓をしているし、同じところを同じメンバーで行くよりも他所にしようと、コースを変更し、利根川右岸CRを走り、佐原へ行くことにした。
南国さんは初めてのコース、小生は幾度も走った慣れたコース。
ポタリング記録を紐解いたところ、2012年1月15日に、旧本埜村/白鳥の郷でソデグロヅルを見たあと、佐原まで足をのばして以来、2年ぶりのことであった。

佐原となれば、昼餉は「長谷川のうなぎ」と相成るのだが、当初の小貝川ポタでの昼餉はコンビニ握り飯+カップ麺などの予定で、南国さんは「水」係、小生は「ガス・バーナー&コッヘル」係となっており、既に準備済みであったので、昼餉は当初のメニュー通りとし、集合場所近くの超級市場で握り飯その他を調達。

集合場所の我孫子駅を出発し、手賀沼北岸、手賀川左岸、木下(きおろし)の町を抜け、利根川右岸CRへと入る。
利根川右岸CRを走り始めて、直ぐに「海から74km」の標識。
「佐原は『海から40km』なので、ここから34km。ここまで既に18km、走っているので、都合、佐原までは52km」と上総。
「オーケー!今日は佐原まで走って、次回は佐原から銚子、犬吠崎、九十九里を走ることにしませう」と南国さん。

風は南西の風。
右肩の後、あるいは、背中に吹いて来る追い風だ。
前週(3月22日)の北千住/見沼ポタは往復とも向かい風であった。
毎回、毎回、向い風では割りが合わないが、世の中はよく出来たもの、ちゃんと、前週の分を相殺してくれている。

「右岸は、途中、2区間が未舗装であったと記憶。脇の一般道を走ることになります。左岸は全て舗装路ながら、今日は右岸を走りませう」と南国さんに話したのだが、未舗装であった2区間は完全に舗装されていた。
東日本大震災のあと、利根川で土手の状態を調査している様子を見たことがあるので、震災のあと、全面舗装されたものと思われる。
もうひとつ新しいものを見た。
新架橋である。
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横断幕に「4月12日(土)15時開通 圏央道で結ぶ茨城県と千葉県 圏央道 稲敷IC⇔神崎IC」とある。
常総大橋を通り過ぎ、神崎大橋に至る間にひとつ新しく架橋が完成したのだ。
調べてみたところ、着工は2011年12月1日なので、2年前にここを通り過ぎたときは未だ橋の姿はしていなかったので、気付かなかったのかもしれない。
圏央道、即ち、首都圏中央連絡自動車道なので自転車は走れないのだが、利根川に架かる雄姿(?)をカメラに収める。
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更に走り、水郷大橋南詰をくぐり、『海から40km』に到着。
今日の jitensha @標識『海から40km』。
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「利根川CRを初めて下ったのは2008年の冬。追い風を利して。銚子港で『海からゼロ・キロメートル起点』を探すも見つからず、時間切れでギブアップ。翌週、四輪で再び銚子港へ。あちらこちらで聞きまわって、ようやく発見。この標識は、次回、銚子港でご案内しませう」。

「12時半。そろそろ、昼餉にしませう」。
「伊能忠敬像のある佐原公園で昼餉にしませう。この公園では梅が終わり、桜が咲き始めているでせう」。
佐原の町へと向う。

フォト:2014年3月29日

(つづく)

by kazusanokami | 2014-04-06 11:58 | 坂東太郎下流の旅